手探りで探した民族の音色/始まりのウリハッキョ編vol.40 朝鮮学校と民族楽器
朝鮮学校の子どもたちに今も民族音楽の息吹を伝え続ける民族楽器。その歴史は1966年5月、東京朝鮮第1初中級学校(東京都荒川区)に祖国・朝鮮民主主義人民共和国から民族楽器が送られてきたことから始まる。
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朝鮮学校の子どもたちに今も民族音楽の息吹を伝え続ける民族楽器。その歴史は1966年5月、東京朝鮮第1初中級学校(東京都荒川区)に祖国・朝鮮民主主義人民共和国から民族楽器が送られてきたことから始まる。
朝鮮学校の舞踊教育において、バイブルといえるのが基本動作だ。朝鮮舞踊の礎を築いた崔承喜が朝鮮民主主義人民共和国で作った「朝鮮民族舞踊基本」(1958、朝鮮芸術出版社)が海を越えて、日本に伝わったのは1960年代のことだった。
祖国解放後、国際都市・神戸の地に根を下ろし、子どもたちの民族心を育んできた神戸朝鮮高級学校。多文化の感覚も備えた卒業生たちは、さまざまな分野で存在感を発揮しながら活躍している。一人ひとりがルーツに誇りを持ち胸を張って歩みだせるのは、「本当の価値」から目を逸らさない同校の教育理念があるからだ。
朝鮮学校には多くの学校に朝鮮舞踊のサークルがあり、民族の心をはぐくむ大切な空間となっている。今でこそ舞踊を教える人は増えたが、草創期には一握りの1世だけ。その1世から、むさぼるように民族の踊りを習い、2世、3世たちに伝えた人たちがいた。
大阪市が2016年度から実施している「幼児教育の無償化」政策の対象から朝鮮学校の付属幼稚班が除外されていることが明らかとなり、保護者や関係者らから非難の声が沸き起こっている。
日本全国の朝鮮学校で、2017年度から初級部5年生、18年度からは初級部6年生の英語授業が正式にスタートした。朝鮮学校初級部への英語教育導入を見据えて日本各地で指定された研究校のうちの1校として、福岡初級は13年度から授業内容を模索してきた。地域の人材を集め、独自の「福岡メソッド」を築いた同校の英語教育について聞く。
民族教育史上初めて、朝鮮学校の生徒たちが南の故郷の地で芸術公演を行ったのは15年前の2002年9月のことだった。在日朝鮮学生少年芸術団(団長=具大石・東京朝鮮中高級学校校長、総勢90人)は、9月4日にソウル、6日には全州で公演を成功させ、合計4500人の市民が朝鮮学校生との出会いを果たした。
群馬県にたったひとつの民族学校である群馬朝鮮初中級学校。2020年に迎える学校創立60周年にむけて、児童生徒、教員、保護者たちが一体となって学校を盛り上げている。2016年には日本全国で初めて自治体議員で構成された、「群馬朝鮮初中級学校を応援する自治体議員の会」が発足され、日本人支援者とのつながりが強いのも特徴だ。
朝鮮高級学校に対する高校無償化・就学支援金支給制度の適用、広島県・広島市の補助金交付の再開を求める「朝鮮学校ええじゃないね! 春の平和パレード」が5月13日、広島市内で行われた。
1969年4月1日の創立以降、同胞たちの尽力によって発展し、続けられてきた奈良朝鮮初中級学校。しかし2000年代を前後して児童・生徒数が徐々に減少し、休校を余儀なくされる。「子どもたちにもう一度、同胞が集う場所を見せてあげたい」―。同胞社会の拠点ともいえる“ウリハッキョ”を復活させるため、卒業生たちが思いを集めて立ち上がった。
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