あの日から9年
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今日、6月15日は「6・15北南共同宣言」(2000年)が発表された日。
民族同士が戦火を交えた朝鮮半島で、北と南の首脳が初めて出会った歴史的な出来事は多くの人たちの胸の中にあった悲しみを溶かしたように思う。
宣言発表から2年後、私は取材で故郷の地を訪れる機会に恵まれた。朝鮮学校の子どもたちがソウルと全州で芸術公演をすることになったのだ。
ソウル教育文化会館の1000席を埋めた市民たちは、初めて見る子どもたちの歌や踊りに泣きじゃくっている。そう、私たちは長い間、出会うことすらできなかったんだ―。彼らの涙に私たちを遠ざけていた分断の月日を思った。
私は父母、いや祖父母たちがまだ故郷の地を踏んでいないのに、という思いを引きずりながら取材を続けていた。宣言発表の前年に亡くなった母方の祖父、その2年前に亡くなった祖父がこの光景を見ていたなら…。
二人は南北の両方に肉親を引き裂かれ、生まれ育った慶尚北道についに行けなかった。
母方の祖父が南側の孤児院に寄付をしていたこと、息子が帰国した北側には仲間の鋳物業者たちとともミシンを送ったり、文化遺産保存のために力を尽くしていたと知ったのはつい最近のことだ。
故郷に行くことはできた。たけど行かなかった。
統一のその日まで――。
せめて私の記憶の中に、ありし日の姿を刻み続けていきたい。(瑛)