宝、そして希望
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いま私は近畿地方に出張で来ています。
主に「アンニョン! ウリトンポ」の取材をしてきました。
近年、少子化に経済状況の逼迫、情勢の悪化が重なってトンポ社会も深刻な打撃をうけています。
いま、トンポたちの一番頭が痛いことといえば、やはりウリハッキョの存続の問題。
事実、ここ数年で日本各地の朝鮮学校のいくつかが、統廃合しています。
私が今回行った奈良県でも、2008年度からハッキョの休校という措置をとらざるを得ませんでした。
もちろん、現実を受けとめて、前に進まなくてはならないことは誰もがわかっていることです。
そしてそういった現状を取材することが、今回の大きな目的でもありました。
でも、実際に会って話していくうちに、
ハッキョがなくなった後の現状の深刻さ、
同胞社会を揺るがす、問題の根の深さを目の当たりにしました。
自分が話を聞くことによって、より一層その傷口を広げてしまうんじゃないかと思い、聞くことをためらうほどでした。
「ハッキョがなくなっての今」を語ってもらうたび、全員が本当にやりきれない表情を浮かべていました。
1世たちが立派に建てたハッキョを自分たちが守れなかった、最後の1人になるまでハッキョは守らなければいけなかったんだ、全国のトンポに顔向けできない、本当に情けない…などという声を聞きました。
長年奈良トンポ社会を見てきた方ならなおさらです。
でも、県外のウリハッキョに通う孫たちの話をすると、
顔にぱっと笑顔が咲くんです。
奈良ハッキョが今もあったなら…、本当にそう思いました。
このブログを書いている最中も、なぜか涙が止まらないんです。
「ハッキョがなくなるってことは、こういうことなんだ」という感覚を突きつけられたようです。
こういう風に書かれることは、本人たちはあまり望んではいないと思いますが、東京から訪れた私が率直に感じたことです。
「ウリハッキョ復活させハジャヨ!(ウリハッキョを復活させましょう!)」「また人集めヘソ! その方がパンドゥシチョッタ!(また人集めてから! その方が絶対いい!)」
元奈良ハッキョ卒業生の朝高生の言葉です。
そのキモチがある限り、絶対に奈良のトンポ社会は大丈夫! そう信じてます。
いま現在もたくさんのトンポたちがエネルギーを費やして、
灯火のように守ってるウリハッキョ。
「ハッキョは宝であり、希望」――。
トンポのしあわせのために守られなければならないと、心から考えさせられた数日間でした。(里)