夏休み
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子どもたちの夏休みもそろそろ終わりだ。
自分が子どものころを振り返ってみると、これほど長い休みを、何とも無駄に過ごしていたのかと思う。
夏休みの宿題は最後の3日くらいで全部やっていた 。宿題をしなくても親は、まったくうるさく言わなかったし、まったく手伝わなかった。いま親になり、子 どもがなかなか宿題をやらないのを見て、ちょっとイライラするのだが、当時、父親はまったくイライラしていなかったと思う。度量が広かったというよりも、 そんなことに何の関心もなかったように記憶する。
ここまで書いて、父親は何に興味や関心をもって生活していたのかと考え込んでしまった。今となっては本人に直接きくこともできない。
仕事がら、さまざまな文章を書いている。「自分」 というものがまったく介入しない文章もあるが、このブログのようにモロに「自分」が出るものもあるし、 多くの文章は程度の差こそあれ「自分」がにじみ出て くるものだ。
以前、中島らもさんにインタビューしたとき、「文章を書くことは真っ裸の自分を見せることと同じ」と言っていた。変にかっこうつけた文章や世間体を気に した文章は、人の心に入っていかないのだと思う。
息子が大きくなったときに、父親が書いた文章を読めば、どんなことに関心をもって生活していたのか、 わかるはずである。仕事がイオという雑誌として残ることも幸いだ。
問題を多少解いたところで学力がそれほど上がるわけでもないのだから、夏休みの宿題で問題集を解かすようなものはやめたらいいと思う。何冊か本を読むようにし読書感想文を書かせればいい。(k)