思いやりの輪をもっと
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8月の後半、ムジゲ会全国交流会(in京都)を取材させていただきました。
2泊3日の期間を障がいを持つ子どもとその家族、そして各地から集まった同胞ボランティアたちがサポートしながら楽しくすごすというものです。
また、2年に一度、各地のムジゲ会メンバーが一堂に会する場として、定着している交流会です。
私もボランティアたちと同じ部屋で寝泊りしながら、「ボラさん」たちの頑張りを身近で目撃し、
また夜に行われた保護者同士の懇親会にも参加させてもらうなどして2泊3日「密着」してきました。
こういうことを書くと語弊を招くかもしれませんが、私自身、もし自分が産んだ子どもに障がいがあったら…ということを考えさせられました。
「自分にはない」なんてことはどこの誰にも言えないことであるし、
事故などで後天的に障がいを背負うことになるかもしれない。
そんな時、自分ならどうしているかと。
正直、「怖い」という気持ちも生まれてきました。
「誰が悪いでもない。自分が産んだ子を愛してあげるのが親」「その子の存在を100%受け止める」と、覚悟を決めた親の方たち。
ゆえに、その力強さから学ぶことが本当に多かったし、
子どもに対する深い愛情に胸を打たれました。
「(ムジゲ会の人たちに)自分と同じ苦労はさせたくない。だから自分の経験を伝えたい」という人もいました。
言葉にできないくらい辛い経験をされているのに、
人へのやさしさであふれていました。
参加されていたある福祉の専門家は、サポートする立場にありながら、「自分自身、ムジゲ会の中に身をおくことが、心地よくもあるんです」と話していました。
ムジゲ会の魅力を語ったんだと思います。
私も、ムジゲ会をとりまく大きな大きな「思いやり」を感じながら、
一方で自分の器の小ささといいますか、そういうことに身が縮まる思いでした。
交流会を終えてからというもの、駅などの公共機関に対する見方が少し変わりました。
私事ですが、出張時には「ガラガラ(小型のトランクのことです)」を持っていきます。その時、ほぼ毎回というほどエスカレータもしくはエレベーターを利用します。
そしてそれらが配備されていないところでは、非常に苦戦を強いられます。
私はしんどい思いをしながらでも、最悪、階段を使えばよいのですが、
車椅子での移動を余儀なくされる障がい者の場合、どうすればいいでしょうか。
2人以上の助けがないと、駅構内の移動もままならないことでしょう。
新幹線に乗って東京駅に着き、「ガラガラ」を引いていた私は、車椅子マークのついた坂状になった通路を通って、階段を避けることができました。
その通路一つ探すのも手間がかかったし、距離でいうと、とても遠回りで不便でした。
当事者になってみないと見えにくい、見えてこない問題の一つだと思いました。
(里)