最近のイオ編集部
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ただいま編集部では来年の「イオ」をどう作っていくか、をテーマに議論を重ねています。例えば、雑誌の「顔」である表紙をどうするか。各地の同胞を紹介する今の形になって今年で4年目ですが、それを続行するかどうか。またどのような連載を打っていくのか。
来年は朝鮮が日本の植民地(「韓日合併」)になって100年を迎える年ですが、100周年に光をあてる企画はどんなものがいいのか、など…。議論のテーマは何通りもあって、どこかに泊り込んでじっくり話し込みたい気分になります。
この時期は、1年の雑誌作りをじっくりと振り返るいい機会でもあります。
いち記者としては、この1年も色んな人と仕事をさせてもらいました。ミュージシャン特集をした際(6月号)に出会った歌手の皆さんたちが目に浮かびます。その中には、ライブに足を運んで思いを伝えたものの、結果的には取材を断られた人もいます。しかし、出会ったことが縁で、その後もブログを見てその近況に一喜一憂したり、たまにCDを聞いて和んだりしています。ふと街中でスーパーで、その歌が耳に入ってくるときは、この取材をしなかったら見えなかった世界だな、と感じます。
朝鮮半島の自然を撮る「三千里紀行」というグラビア連載は今年で2年目ですが、南北の分断が半世紀以上も続くなか、一昔前には考えられなかった企画だなぁ、感じています。本誌編集部が行き来できない朝鮮半島南部での撮影は、「民族21」のカメラマンに協力してもらい、今まで10ヵ所以上紹介することができました。とくに2世の読者からの反響が嬉しかったですね。「行ったことのないコヒャンを見れました」と読者カードに書き込んでくれた声が。
毎年この時期に思うことは、「イオ」にしか出せない情報を届けたいということ。
ある作家が、植民地期に朝鮮語を奪われ、解放後も民族学校を閉鎖され学ぶ機会を奪われた朝鮮人は「日本語という檻の中での表現を強いられている」と、「在日朝鮮人にとっての母語」を語っていたことがあります。雑誌作りをしながらたびたび思い出す言葉です。
「イオ」はご存知の通り、朝鮮語の学習ページや一部コラムを除いてすべて日本語で書かれています。朝鮮語話者は、同胞社会全体を見渡すと決して多い数ではありませんが、母国語、母語へのこだわりも「イオ」の大事な役割ではないかと考えています。 本誌には、創刊当初から10年以上つづいた「ウリマル図鑑」という長寿の連載がありましたが、80ページの雑誌の中もどこかにウリマルの息吹を届けたい。もちろん朝鮮語を学ぶ機会がなかった人たちを排除するものになってはならないと思いますが…。
というわけで、来年の雑誌作りに向けて編集部は動きだしています。 ご意見はイオのホームページhttps://www.io-web.net/top.htmlからお寄せください!(瑛)