ウリハッキョ
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私が通っていた朝鮮学校には50mの大きなプールがありました。
夏になると、体育の授業では水泳の授業が取り入れられ、1学期の終わりには全校生徒参加の水泳大会なるものが開催されました。
暑い夏に冷たい水に飛び込むあの爽快感はたまりません。
しかし、かなづちな私にとっては水泳大会が何より重いものでした。中学生になると、ビート版なしで50mを泳ぎ切らなくてはならなかったからです。
水泳大会当日。それでも意をけっして、やってやろうと決めたのです。
しかし半分泳いだ所で、チビな私は溺れ、体育の先生の手によって水からざばっーっと助け上げられました。
それでもそれはいやな記憶ではなく、楽しい思い出の一つになっています。
その朝鮮学校は、田舎にあるけれども、敷地も規模も日本の学校に負けないくらいの自慢の学校です。
当時は、市内が見渡せる小高い丘の上に堂々と建てられた校舎、子どもが100人以上遊んでもまだ足りる程の広々とした運動場、校舎の裏手には朝鮮幼稚園と寄宿舎、体育館に、50mのプールまで。
子どもたちがいろんな才能を育めるように、よりよい環境で学べるようにと、1世の同胞たちが率先して皆で建ててくれたそうです。
春には学校に生えていたよもぎの葉を摘み、祖母によもぎもちを作ってもらいました。夏にはプールで水の冷たさを楽しみ、秋には掃除して集めた枯れ葉で焼き芋を焼いて食べ、冬には運動場で雪の中で皆で戯れて遊びました。
食堂も完備され、おいしい食事と整った環境で、仲間たちに囲まれ思いきりウリのことについて学び、遊び、たくさんのものをもらいました。
あれから十数年、いまは新しい土地に新しい校舎として生まれ変わっています。
来月、長野朝鮮初級中学校創立40周年記念行事が行われるということです。久々に母校に足を運んでみたいと思います。
ハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニたちが自分たちの苦労をいとわず与えてくれたものを、私たちの後世にもしっかりとつないでいきたいです。(愛)