チェサの風景
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旧盆の秋夕を迎えた10月3日は、満月が綺麗な夜だった。
その日はチェサ(祭祀)。チェサといえば、屋根裏部屋の曽祖父の肖像画の前で、チュンジョハルモニ(曽祖母)が、静かに拝んでいた姿を思い出す。ろうそくの火を、親指と人差し指を合わせて消す姿に「魔女みたい」と驚きつつ、超人的なものを感じ、昔の人はガマン強いのだ、と変な納得をしていた。
1世たちの政治談議(のちにケンカに発展)。そして、台所でチジムを焼き続ける女性たちの姿が、私にとってのチェサの原風景だ。
秋夕から年末にかけ、婚家のチェサの準備にかかわっている。チェサ一つとってもその家や故郷なりの文化があって面白い、と思えたのはつい最近のこと。正直、幼少の頃からの記憶もあって、チェサには抵抗を感じていたからだ。
義母はもう40年近くチェサを一人で切り盛りしている。幼くして実母を亡くした義母は家族をとても大事にする人で、チェサパンチャンを作りながら、夕飯の準備に取り掛かかる。その手の早いこと。文句一つ言わず動き続ける義母を見ながら、少しでも手伝って、そして一品でも料理を習おうと思い始めた頃からチェサへの先入観が少しずつ変わっていったように思う。
異郷暮らしの私たちにとって、1世を想う「場」は大事だと思う。なぜなら人間はすぐに忘れてしまうから。
2008年春に本誌でチェサの特集をした際、「チェサの後、私の周りには寝込む人が数人いる。チェサを美化しないでほしい」との投書を受け取った。「親戚で集まって焼肉パーティーをする!」と、理想のチェサを語っていた人もいたっけ。誰かに負担が集中しない形でみんなが楽しく集まれる場になれば。 チェサのたびに思う理想の「チェサ像」である。(瑛)