学校問題
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先日、地元の朝鮮学校で新入生、新園児を歓迎する餅つき大会があり行ってきた。今年4月に入学する新1年生は二ケタで、地元のみんなの嬉しい話題にもなっていた。
子どもが学齢期にさしかかろうという最近、ますます思うのは、学校問題に悩む同じ世代のオンマ、アッパ、ママ、パパたちに一度は朝鮮学校をこの目で見て欲しい!ということだ。
先日取材で会ったある同胞男性も、子どもが学校に上がるときに一度は朝鮮学校に興味を持ったそうだ。彼は大学まで日本の教育を受けている。
彼は言った。「周りに朝鮮学校出身の友人もいて『いいよ』と聞くんだけど、自分自身がそれを実感する機会がなくて…。そうする間にあれよあれよと区役所から就学通知が来て手続きが済んでしまい…。で、朝鮮学校はどこにあるの?」。彼は車で5分足らずの場所にハッキョがあることを知らなかった。
「朝鮮学校という選択肢があることだけでも幸せだと思う」。10年前に聞いた言葉がよみがえり、結果はどうあれ一度見て欲しかった…。
小学校1年から朝鮮学校に通った私は、社会人になって朝鮮学校出身という、自分にとって当たり前だった経験が同胞社会ではそうではない、ということに気付き、日本の学校に学ぶコリアンに強い興味が沸いた。京都や大阪の民族学級、横浜、川崎におけるブラジルや朝鮮の子どもたちのための母語教室…。吸い込まれるように現場を訪ね歩いた。はじめの一歩は行政の支援などない。そこに学ぶ子どもたちにとって必要だから、教えると心が潤っていくから先生たちは始めるのだ。
手弁当で「場」を作りあげる先生たちの話を聞きながら、「日本学校でコリアンが学んだ場合の環境」というものがおぼろげに見えはじめ、次第にはっきりとした輪郭で浮かびあがってきた。
朝鮮学校の同級生の中には、子どもを日本学校に通わせている子もいれば、地元に帰って母校の生徒数増加に貢献している子もいる。また「学校問題」はこの世代が集まると尽きない話題のひとつであるが、ある友人はインターナショナルスクールから日本学校、朝鮮学校とをすべて見学し、判断していた。また、現在の朝鮮学校には日本学校出身の同胞もいるし、国際結婚の増加を背景に日本人や外国人の親御さんもいる。
結果はどうあれ、親としては子にとって「最善の選択」をされているのだと思う。そして子にその教育を授けた以上、親はその「選択」が正しいものだった、と子に感じてもらえるよう、頑張らなければならないのだ。ここに厳しさがある。だからこそ、悩む。
日本学校に通う「朝鮮につながる子どもたち」の多くは、日本名で生活している現実がある。 思春期をはじめ、いつかぶつかるであろう、「自分は何者であるか」という問いに学校現場がどんな答えを用意しているのか、在日コリアンの歴史や背景をきちんと知る教師、将来を導くような出会いは望めるのか―。
私たちが、普通の日本人と違う背景を持つ、ということは動かしがたい事実で、私自身は生きていく上で決して小さいことではないと思っている。とくにこの日本では。
学校に期待できるもの、家庭ですべきこと―。この答えを子どもたちに具体的に示していかなければならない、と息子の学齢期を前にしながら考えることが増えた。
皆さんはどう思われますか?(瑛)
「正答はない」のでは
30代後半の者ですが、当方は中~高にかけて非常に強烈なアイデンティティ・クライシスに直面しました。でも成人してから、朝鮮学校に通っていない多くの同年代(あるいはもっと若い人)に聞いてみると、案外あっさり自分の中で折り合いをつけてケロッと暮らしていたりするんですねこれが。
環境と、自分の意識がどうそこに作用していくかで、大きく左右されると思うんです。環境がうまい具合に整ってても本人がそこにうまくノレない要素があると、クライシスが深刻になるとか。で、その逆もアリと。いろんな組み合わせがあり得るんじゃないでしょうか。
でも自分の経験上、アイデンティティ・クライシスに一度陥ると同胞の助け無しでは克服しにくいと思いますよ。どんなに理解のある日本人がいても、悩んでる当人からすればしょせん「他人」だから。ボンクラでも「おい元気ねーな、メシ食い行こうぜ」とか気遣ってくれるトンポのニーチャンの方がナンボかましかと。
・・・分かりにくいですかねえこの感じ(笑
相談相手
「他人」という表現は悲しいですが、ルーツをともにするつながりは、私たちにとって大事だし、成長の過程で必要になってくると思います。人それぞれ、程度の違いはあれ、「クライシス」は訪れるのではないかと…。
私自身、朝鮮高校時代にコリアンに生まれたことで「将来に壁がある」ことを初めて実感し、暗い気持ちで将来を悩んだことがあります。(その時期は朝高生に大検の受検資格すらなかった)。その際、授業を受けていた歴史の先生が放課後に親身に相談にのってくれ、悩みから脱出した記憶があります。
その時はさほど感じなかったものの、最近その教師の言葉を何度となく思い返しています。
社会人になって出会った日本の友人の存在も心強いものです。
いまだ周りには在日朝鮮人の歴史やルーツを知らない人も多いですが、私たちの存在について率直に疑問をぶつけてくれる人に出会うと気持ちが落ち着きます。「いつ韓国から来たの?」「朝鮮籍って北朝鮮籍?」―。この質問たちが何かにつながっていくのですから…。