日米の密約
広告
昨日(10日)の新聞の1面トップは、すべて「日米の密約」の問題であった。
中心は核兵器を積んだ米軍の艦船が日本に寄港することを日本政府が黙認してきたというものである。日本の非核3原則は「持たず、つくらず、持ち込ませず」であるけれど、「原則」でもなんでもなかったわけだし、そもそも、私の感覚で言うと、米艦船がわざわざ核兵器をどこかに置いてから日本に寄港すると、信じていた人がいたのであろうか。
密約には「朝鮮半島有事」に関するものもあり、「朝鮮半島有事」に出撃する在日米軍の戦闘行動の際、事前協議なしに米軍が在日米軍基地を自由に使用できることを例外的に認めるというものだ。
戦後、日本はアメリカの核の傘の下にあり、日本には米軍基地がありつづけた。また、核兵器を積んだ米艦船や原潜が日本の周りにウヨウヨいたわけで、朝鮮は常に敵対視され核の脅威と軍事的圧力を加え続けられてきたということだ。
日本ではほとんど報道されていないが、現在、アメリカは韓国と合同で朝鮮を攻撃目標とした先制核戦争演習「キー・リゾルブ」「フォールイーグル」演習を行っている。また、これと連動するように、米軍と自衛隊の大規模共同訓練も行われた。
月刊イオ09年11月号で、ある日本人が次のように書いている。ちょっと長くなるが紹介したい。
「…朝鮮の友人に対して「日本には、核アレルギーがあるが」と、日本側の感情をぶつけました。すると友人から、「日本はアメリカの核の傘を平気で受け入れていますよ。本当に核アレルギーなんですか?」と反論され、返す言葉がありませんでした。核問題をめぐる日本の二重基準は、いったい何に由来するのか、一度考えてみる必要があることを自覚させられました。
二重基準とはつまり、こういうことです。日本は核抑止力を行使しながら、朝鮮に対してはそれを認めないこと。アメリカの核保有と核実験は認めながら、朝鮮に対してはそれを認めないこと。実際は開発もしていなかった大量破壊兵器を口実にイラクを侵略したアメリカの軍事行動は批難せず、アメリカからの侵略を防ぐための朝鮮の軍備を批難すること。こうした二重基準は、日本が植民地支配をしてきた時の朝鮮人強制連行や軍性奴隷については無視して、日本人の拉致だけを問題とする、拉致事件をめぐる日本の対応についても言えることです。」
今後の日本の政局の最大の争点は、普天間基地問題となろう。日本国外も含めて「どこに移すか」が議論されているが、「いろいろ議論しても最終的にはアメリカが決めるのではないの」と思ってしまう。もし、いまアメリカが考えている「最善」の案になったとしたら、日本の世論はどう動くのだろうか。
米軍基地を完全になくすために行動している日本人も多い。しかし、「米軍がいたから日本の平和が守られてきた」と思っている日本人のほうが多いのだろう。「基地があるとお金が落ちる」と思っている人もいる。
米軍のために、土地もただで提供し、そのうえ「思いやり予算」などお金も出している。その何十分の1かでも、外国人学校のために使えばと思う。
さらに、米軍はこの65年間、日本で殺人、暴行、強盗などの罪を犯し、ヘリコプター墜落など事故を起こし、日本の自然環境を破壊し、騒音などの迷惑行為を振りまいてきた。世界の軍隊の中で一番日本に被害を与えてきたのは、まさに米軍である。
このことを「在特会」のような人間はどのように思っているのだろうか?
60年代、70年代まで安保闘争はあったが、それが抑えつけられ押しきられて、「米軍基地がなぜ日本になければならないのか」という根本的な議論はなくなり、日米同盟が「あって当然」という前提になってしまった。
ここまで書いてきて、日本が右旋回し排外主義が大手を振って活動するようになった原因のひとつがここにあると思うようになった。(k)