無償化排除で見えてきたこと
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高校無償化制度は、朝鮮学校を含ませるかどうかについては、結論を出さないまま、法案が採決されました(12日)。鳩山首相は、朝鮮学校については4月の制度開始時には含めず、第三者機関に委ねるとしていますが、ただの時間稼ぎでしょう。大学受験資格問題、寄付金税制の朝鮮学校外しの政策がそのまま踏襲されたまでです。最終的にどんな外国人学校に適用するのかは、文部科学省が作成する省令で決めるとされています。今日16日、東京都内でもオモニたちの集会が開かれますが、あきらめずに声をあげていくしかありません。
現在、日本政府が朝鮮民主主義人民共和国に制裁を科しているなか、両国の関係は敵対していると言っても過言ではありません。今回の朝鮮学校排除は朝鮮への制裁を子どもの教育問題まで持ち込んだものとして、大きな禍根を残すでしょう。
朝鮮学校排除に耳目が集まるなか、テレビや新聞で生徒や保護者の様子が伝えられています。教室に掲げられた肖像画をセンセーショナルに取り上げる媒体もあります。
すべての番組を見たわけではないのですが、在日朝鮮人として生まれた私たちにとって、「日本の公教育では満たせないものがある」という「民族教育のニーズ」がどれほど伝わっているのかは疑問です。なぜなら多くの媒体は在日朝鮮人の多くが日本に暮らすことになった経緯を伝えていないからです。
私たちのルーツである1世が、なぜ日本に暮らすようになり、日本の植民地支配がなければ二つに引き裂かれなかったであろう、祖国をどう見つめてきたのか…。
私たちは、1世の姿や言葉から、日本における在日朝鮮人の歴史を学び、異国で家族を守り、生活を切り開いてきた生きざまを掴み取ってきました。それこそが、民族教育の歩みでもありました。
1世たちが自分の生活を後回しにして、子どもたちのための学校を建てたのは、植民地期に母国の言葉、人間性をも奪われたその「歴史」を二度と繰り返すまい、という教訓であったと思います。そして、この教訓は決して「朝鮮」だけのものではなく、「日本」のものでもあったと思います。だからこそ、日本に朝鮮学校が存在することは、日本にとっても誇れることだと私自身は感じています。卒業生たちは日本社会で本当にたくさんの活躍をしています。そして、いつかは国交を回復するであろう、朝鮮と日本の架け橋になることを願い、働きかけを続けています。
だからこそ、この機会に朝鮮学校の姿を一人でも多くの人たちに見ていただきたい。多くの卒業生たちに民族教育への率直な感想を聞いていただきたいと思います。(瑛)