高校無償化―「朝鮮人は煮ても焼いても…」
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高校無償化法案が衆議院文部科学委員会で採決された3月12日の夜だったと思う。テレビ朝日の報道ステーションを見ていると、このニュースの関連映像が流れた後、キャスターの古館伊知郎が、朝鮮学校を除外するのはおかしい、というようなこと言っていた。そして、「どうでしょうか?」と、横に座っていたゲストコメンテーターに意見を求めると、そのゲスト(名前は忘れた)は、「北朝鮮に対し制裁を加えるのはいいことだけど、それとこれは別で朝鮮学校を除外してはだめだ」というようなことを語った。そのコメントを当然のことのように、古館も何もツッコまない。
そのコメントを聞いて、驚きはしなかったものの、「は~」とため息が出てきた。「北朝鮮と朝鮮学校は別」「朝鮮学校には朝鮮籍以外にも韓国籍、日本籍の子どもも通っている」というのが、朝鮮学校排除に反対する人たちの、ひとつの典型的な「論理」である。「朝鮮学校を差別すると朝鮮学校の子どもたちが日本に悪い感情をもってしまう」という論理を立てているものもある。
一部の政治家が、高校無償化を「北朝鮮への圧力」に利用しようとしたり、朝鮮学校で行っている民族教育の内容を骨抜きにしようとする動きは、結局、彼らが「朝鮮人は煮ても焼いても、好きなようにしてもかまわない存在」だと思っているからにほかならない。
これまで、多くの日本の政治家が、日本の過去の国家犯罪―アジア各国への侵略・大量虐殺や朝鮮の植民地支配―について肯定する発言を行ってきた。なかには問題になり、大臣職などを更迭されるということもあった。若かった頃は、政治家のそういう発言を聞くにつれ、「何か政治的な目的があってわざと言っているだけで、ナチスの犯罪をみなが否定するように彼らも心の中では肯定していないのだろう」と思っていた。しかし、だんだん、彼らが本気で侵略や植民地支配を悪かったと思っていないのだということがわかってきた。
口では「悪かった」と言っていても、靖国神社に参拝に行くなど、心の底ではそう思っていない政治家も多い。
政治家と同じように、過去の国家犯罪を別に悪いことではなかったと思っている人たちが(またはそんな歴史について何も知らない人たちが)、一般の日本人の中にもある一定の割合で存在するのである。
いまの日本の状況を作った根本は、日本が過去の国家犯罪をまったく清算してこなかったことにある。しようと思っていたが時期を逸した、というのではなく、最初からするつもりがなかったというか、支配体制が「戦前」と変わらず(アメリカの子分になったこと以外は)、現在まで引き継がれてきた。
当然のことながら、日本が明治初期以来せっせと日本人に植え込んできた、アジア、特に朝鮮民族に対する蔑視感情も、植民地支配の中で「われわれが植民地にした劣った民族」として確固としたものとして染み付き、「戦後」もそのまま残され、歳月を経る中でさらに定着していったと言えよう。
「在特会」の連中らが、朝鮮人らを執拗に攻撃するのは、政治家の暴言と同じで何か政治的な目的がありやっているというよりも、本当に憎しみをもっての行動なのだと思う。「朝鮮人のくせに」という朝鮮人蔑視が根底にある。
その蔑視感情の上に、彼らが強烈な被害者意識を持っているのだと、私は思っている。「朝鮮人のくせに、生意気に日本に対して文句を言う」「朝鮮人がいるから治安が悪くなる」「朝鮮人がいるから職が奪われる」「朝鮮人のために税金が無駄に使われる」…。さらに「朝鮮人は税金を払っていない」などの誤った知識が入り、被害者意識(=憎しみ、怒り)が増幅される。
だから、何かことが起これば、チマ・チョゴリを着た女の子たちが暴行や暴言を受けるという事件が繰り返されてきたのだ。
ただ、10年前と今が違うのは、朝鮮人への攻撃を大手を振ってできる社会になったということだ。拉致問題を境に、日本人の「被害者」として意識が「実証」されたかたちとなった。ブッシュが朝鮮を「悪の枢軸」にし、「北朝鮮はミサイルを撃ち核を開発して世界平和を乱す国」という世論ができあがった。
一番初めに書いたコメンテーターのように、テレビで堂々と「北朝鮮に対し制裁を加えるのはいいことだ」というようなことを言っても、本人はまったく恥ずかしさを感じない。
高校無償化は、結局、朝鮮学校を排除し4月からスタートすることになった。当事者の朝高生、保護者をはじめ朝鮮人は、この問題が持ち上がった当初から怒りを感じてきたわけだが、こちらの怒りと日本人の怒り(被害者意識)をぶつけ合っても何も解決しないということがわかっているので、冷静に要請してきたわけだし、どこかの知事を学校に招き笑顔で迎えるということもやってきたのだ。
過去の清算という根本の部分の解決がどんどん遠ざかっているように思える。
100年前と同じ道を日本は歩むのであろうか。(k)