ビラ配り
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先日、何年かぶりかで、ビラ配りをしました。
高校無償化から朝鮮高校を外さないでほしいと訴えるビラです。朝高生、同胞青年たちのなかに混じって、中年がひとり配ってきました。
学生時代は、よくビラを配りました。その当時は、日本の人たちに韓国の民主化運動に対する支持を訴えるものが多かったですね。在日朝鮮人の権利問題のものはあまりなかったように記憶します。
ビラ自体も自分たちでよく作っていました。今のようにパソコンがあるわけでもなく、コピーも高くて使えないので(当時でも1枚10円くらいした)、文章を考えるところから始まり、手書きして原紙に写し小さな印刷機で印刷するところまでやってました。さすがに鉄筆や謄写版の時代はもう終わっていましたが。
印刷機はインクが慣れるまで何枚も紙がムダになります。そのムダをいかに少なくするか。インクを補充するタイミングなどけっこう技術がいります。何回もやっていると上達しました。ちなみに、映画上映会も何度もやったので16ミリフィルムの映写機の扱いも上手かったし、立て看板の作り方も上手かったです。これらの技術は現在、まったく役に立っていません。
ビラは学内で配ることが多かったのですが、大きな問題になると、各大学が一緒になって、繁華街で道行く人に配りました。今回の高校無償化のような感じです。
何度もビラを配っていると、どんな人がよく受け取ってくれて、どんな人が受け取ってくれないのか、だいたいわかってくるんですね。
よく受け取ってくれたのが、おばちゃんたち。逆に受け取ってくれないのが、管理職風の男性サラリーマン。職責の高そうな人ほどその傾向が強かったですね。当時、その年代の人間は軍隊に行っていた人も多かったはずで、こちらが若かったこともあり、ビラを受け取ってもらえないことにムッとしていました。いちゃいちゃと歩いているカップルも当然のことながら受け取ってくれるはずはなく、それは仕方がないなと思っていましたが、別の意味でムカッとしてました。
配るときに、ブスッとした顔で配るよりも、当然、「お願いしま~す」など、笑顔で一言声をかけると、受け取ってもらえる可能性が高くなります。身体を動かさず手だけのばしてビラを配ってもダメで、フットワーク良く近づいて渡すのも重要です。
書いているうちにどんどん昔のことを思い出して、長くなってしまいました。
何年ぶりかのビラ配りでしたが、学生時代と比べると、ビラを受け取ってもらえる割合がやはり悪かったと思います。20~25人に差し出して1人が受け取ってくれるという感じでしょうか。その原因が地方都市と東京との違いからくるのかどうかはわかりません。おばちゃんが比較的よく受け取ってくれて、サラリーマンが受け取ってくれないというのは昔と変りませんでした。
一つあらためて気がついたのは、歩きながら携帯電話で話していたりメールをしている人が本当に多いということです。道行く人の4分の1ほどが携帯を操作していて、手がふさがっているためにビラを受け取ってもらえませんでした。携帯電話の弊害を具体的に感じたしだいです。歩きながら携帯で電話をしている姿がちょっとバカっぽく見えたので、これからはやめようと思いました。
今回、ビラ配りの間に、1000回以上「お願いします」と言いました。
私の「お願いします」はいま、どこを彷徨っているのでしょうか。(k)