ハルモ二の涙
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先週の土曜、新大久保にある高麗博物館というところに初めて行ってきました。
連続講座「在日の今を語る」を聞くためにです。
この日は「ハルモニたちは語る」と銘打って、在日1世のハルモニたち(お一人『ハラボジ』もいらっしゃいましたが)が昔の体験を証言してくれました。
少し遅れて参加したのですが、行って本当に良かったというか、
気づかされることがとても多かったような気がします。
講師は3人。
その中の一人のハルモニは14歳の時に日本に来て、結婚して一時朝鮮に戻り、朝鮮戦争が勃発。
家を追われ、とにかく逃げて逃げて畑や山道に泊まったこともあったそうです。
「日本での戦争より、もっと怖かった」と言っていました。
そして、再び日本へ密航したというハルモニ。
そんな話をしているうちに、ハルモニはいつの間にか肩をすぼめて号泣しだしたんです。
密航で日本に渡る際、とても複雑な事情があったみたいです。
私はハルモニが泣き出したことにとても驚いたし、ショックを受けました。
50年以上経っているはずなのに、その記憶の断片を思い出して昨日のことのように泣いてる。
とにかく、「ハルモニ…泣かないで」と悲しくなって、私も泣きました。
日本の人も泣いてました。
今まで私が話を聞いた1世の方たちは、割と淡々と自分の体験を語っていたからでしょうか、
目の前でハルモニが昔のことを思い出して辛そうに泣いているのを見ながら、はっとさせられました。
「生活のために父親が日本に渡り、親子離れ離れに暮らした」、
「空襲で住んでる家が焼かれてしまった」、
「故郷のことをずっと懐かしく思ってた」、
これまでの何回かの取材で、
同じような体験を1世の方たちは皆していることを知りました。
ただ言葉の奥にある、当時の本人の心境だったりとかいうものについて、
想像が足りなかったな、と思ったんです。
私たちが簡単には知りえない苦しみがあったはずです。
それは、想像しようとしないと見えてこないもの。
いきなり「話してください」といっても、1世のハラボジ、ハルモニは躊躇してしまうし、
むしろ「話したくない」という方だっている(講座の講師を務めたハルモニたちも、『言葉にはしつくせないこともある。そこは話したくない』って言ってました)。
ハラボジ、ハルモニたちの歴史を学ぶ立場である私にとって、
いつどこで何があったのかという情報以上に、
実際にハラボジ、ハルモニの表情を見た方が、わかることが多いです。
この日のハルモニの涙は、忘れられないと思います。
もう一人の講師である91歳のハラボジは、
「昔のこと(日本人にされたこと)、許すことはできても忘れることはできない」
とおっしゃってました。
私も、1世のハラボジ、ハルモニが背負ってきたものを、
忘れたくない、もっとちゃんと知りたいと思いました。(里)