外国人学校の生徒さんと
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4月25日、小さなNGOの集まりで外国人学校について話をしてきました。月刊イオが創刊10周年を迎えた2006年、編集部の仲間たちと「日本の中の外国人学校」(明石書店)という本を出したのですが、3年前に出版してからというもの、時々この本を読んで勉強会を開きたい、どこかの外国人学校に行ってみたいのだけど、紹介してほしい―などの問い合わせがあります。とても嬉しいことです。「人前で話す」ことにはまったく自信のないのですが、外国の子どもたちについて知って欲しいと思い、出かけてきました。
集まりでは、私が日本にある外国人学校の概要を話した後、東京インドネシア共和国学校、エスコラ・アクアレラ・ブラジル、東京朝鮮中高級学校の生徒さんたちが自分の生い立ちや学校への思いを話してくれました。10歳の時に渡日したブラジル出身の18歳の青年は、現在日本の高校で通信教育を受けながら大学受験を目指しているとのこと。しかし、10歳で日本に来てからは学校に馴染めず、結果日本語も不自由だったことから、高校にはいかず、工場で働いていたといいます。しかしある日、「未来に希望を持てなくなっている自分」を発見し、「俺が働くから勉強しろ」と背中を押してくれた兄の言葉にも勇気付けられ、現在はバイトを続けながら学んでいます。また、バリ島出身のインドネシア学校の青年は、母国インドネシアの経済を発展させたいという大志を抱き、自らの意志で渡日を決心したとのことでした。
東京朝高から参加した女子生徒の凛とした姿も、参加者の涙を誘っていました。制服のチマチョゴリを身にまとい、両親の意志でごく自然に民族教育を受けてきたが、これからは先代の思いに応えていきたいと。高校無償化問題で朝鮮高校が外されたことに「同じ高校生なのになぜ」という疑問がわき起こり、街頭で訴えを続けていると秘めた思いを静かに伝えていました。
会場からは「北朝鮮報道をどう感じているのか」という質問をはじめ、「民族や国家にこだわる必要はないのでは?」という趣旨の意見もありました。さまざまな質問や意見に、限られた時間、伝えきれないもどかしさも感じました。当たり前のことですが、朝鮮学校について人々が共有している知識にばらつきがあるのですから、時間をかけて話し合っていくしかありません。一方、母親が戦前にソウルで暮らしていたことから朝鮮に興味を覚えている、と再会を約束した方をはじめ、新しい縁も生まれた気がします。
色々言葉足らずな面も多かったですが、集まった人たちの「知りたい」という気持ちにどうこたえていくか―。高校無償化問題で外国人学校への耳目が集まっている今、新たな宿題をもらった気がしています。(瑛)