言語と文化
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6月号では朝鮮舞踊を、7月号で朝鮮料理といった文化ものを特集した事情もあって朝鮮半島の南北で出版された本を参考にしたのだが、わからない単語や意味がはっきりうかんでこない表現が多く、朝鮮語辞典と首っ引きで本をめくっていた。それにしても16年間もかけて身につけた私の朝鮮語。ブラッシュアップしなければ、その記憶はすたれていくばかり…とホトホト自分の勉強不足にあきれてしまったのも事実でして…。
舞踊の特集では、学生時代に毎日繰り返していた基礎動作、というメニューをよく思い返していた。そのメニューとは、朝鮮舞踊基本動作というもので、무릎굴신주는 동작, 팔을 휘감는 동작.팔굽이놀리는 동작, 손목 놀리는 동작…などなど10以上もある。実際体を動かしながら覚えていった表現なので、손목을 놀리는 동작と聞くと、手を波のように動かすのに苦労した記憶が鮮明に浮かんでくる。
また、当時、金剛山歌劇団の舞踊手が教えにきてくれた時のこと。ハードなメニューをこなし、ゼーゼーと息を切らしている私たちを見ながら、숨을 돌리고…と声をかけてくれた時は「こういう表現があるんだ」と感心したことがあった。私にとってこの一声は、朝鮮語を教科書で「文字」として習うのと、人を介して言葉を伝え合うことには、「大きな差」があると教えてくれた出来事だった。
言葉と文化は直結している―。朝鮮文化を2号分特集しながら強く感じたことだ。
ご存知の通り、「イオ」の雑誌本体は日本語ベースで作られている。読者には朝鮮語を学んだことがないコリアンの方もいらっしゃれば、朝鮮語に明るい日本の方もいらっしゃるだろう。本誌は、朝鮮語に不自由な方を排除しないために日本語で編集されているのだが、やはり、「朝鮮(コリア)」をよりよく知ろうという場合、「朝鮮語を学ぶ」ということは避けて通れないのではないだろうか。言葉とはその集団(例えば民族)が数千年にかけて積み上げてきた感性がギュッと詰め込まれたものなのだから、知れば知るほど理解に深みが出てくるはずだ。
数年前、「ウリマルイヤギ」という朝鮮語の詩を紹介するページを担当していたことがある。この連載をしてみたかったのは、イオの誌面で朝鮮語の世界にどっぶり漬かることができるコーナーがひとつ位なくっちゃという思いからだった。今、バックナンバーを読み返しても、詩の選び抜かれた表現、鍛え抜かれた言葉の中にはウリマルの「言霊(얼)」が宿っている気がする。(瑛)
※写真は金剛山歌劇団舞踊手たちによる「高麗三神仏の舞」