6・25の悲劇
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朝鮮戦争が始まった6月25日がやってくる。100万人以上が戦死し、1000万人の離散家族が生まれた朝鮮戦争。開戦から60年過ぎた今も、家族やきょうだいと会えずにいる人たちは朝鮮半島や日本、中国、旧ソ連をはじめとする世界中に散らばっていて、その悲しみは今も続いている。しかし、この歴史が風化しているのも現実ではないだろうか。こんなことを思い起こしながら、数年前、韓国の絵本作家であるユ・ジェス(柳在守)さんからいただいた絵本「돌이와 장수매(トリとチャンスメ:勇敢なタカ)」を久しぶりに開いてみた。
…舞台は海辺の丘の村で、村の人たちは漁業を続けながら平和に暮らしていた。裏山には一羽のタカがすんでいて、村人が釣った魚を盗もうとする動物がいれば追い払い、村に何か危険が起こりそうな時は知らせ、人々の尊敬を集めていた。しかし、ある日ワシの軍団が村が襲い、平穏な暮らしは一変する。その悲劇を救ったのもチャンスメだった。しかしその後、チャンスメは村を離れ、海へと旅立ったトリのアボジも爆風に巻き込まれ、村に帰ってくることはなく、トリはアボジを待ち続ける…。
ユさんは、サハリンの最南端の港町で出会った一人のハラボジの姿から、離散家族の悲劇を描こうと思ったという。故国に向かってただただ水平線を見つめていたハラボジは異国で一人で暮らしを続け、最後まで家族の話も進んですることがなかったという。「懐かしいくらいではない(그리운 정도가 아니오)…」―。ハラボジがユさんに伝えた言葉からは、ハラボジの人生を覆ってきた痛みが伝わってくるようだった。
本の中ででユさんは、「隣人の悲願に目をそむけたまま、社会が追求する安定と繁栄は何を意味するのだろうか――」と、作家として朝鮮戦争に向き合う決意を表明している。一方の私は、ユさんの絵本を読み返しながら、日本の植民地と朝鮮戦争によって身寄りが誰一人いなくなってしまった母方の祖母を思い出していた。そして、少なくとも、私の胸に刻まれた祖母の記憶を、同族同士の悲劇を二度と繰り返さないメッセージにしたい―。そう感じたのだった。(瑛)