25年ぶりの訪問
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先週土曜日、江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校を訪れた。新校舎建設の上梁式の取材だったが、同校を訪れるのは実に25年ぶりだった。
昔、江東区東雲に住んでいた私は初級部4年まで同校に通っていた。その後、千葉に引っ越して今に至るわけだが、その間に一度も「母校」を訪れる機会がないまま長い年月が過ぎた。
最寄の豊洲駅に降り立つと、真新しい高層マンションと商業施設群が目に飛び込んできた。豊洲一帯の変貌ぶりに今更ながら驚く。昔は地下鉄の駅すらなかったというのに。
学校に到着すると、新校舎の建設が急ピッチで進められていた。基礎工事が終わり、骨組みもほぼ完成した状態だろうか。
喜ぶべきか悲しむべきか、旧校舎の姿はほぼ当時のままだった。教室や廊下、職員室、ベランダなどを見て回るうちに懐かしい記憶がよみがえってきた。
当時、放課後はほぼ毎日、学校近辺で遊んでいた。私はバス通学だったが、同級生の過半数は枝川に住んでいたので、毎日違う家に遊びに行っていたような思い出がある。近所はみんな同胞で、互いに家族のような付き合いをしていた。
25年ぶりによみがえった「トンポトンネ」の記憶。
街並みは移り変わり、人の記憶も時が経つごとに薄れていく。それでも心の奥底に変わらず残るものがあるのだと感じた。
「枝川裁判」という激動期を経て東京第2は今、新校舎建設という新しい道を進んでいる。地域同胞社会の拠点としてのウリハッキョの存在意義はこれからも変わらない。その思いを強くした今回の「母校訪問」だった。(相)