「木綿のハンカチーフ」
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太田裕美さんが歌った「木綿のハンカチーフ」(作詞:松本隆、作曲:筒井京平)という歌がある。もう35年前の歌で、ご存知のように、遠距離恋愛に失敗したカップルのことをうたった歌である。
この歌に登場するカップルの置かれた状況がどのようなものだったのか、昔からよく考え ていたので、少し書いてみようと思う。「木綿のハンカチーフ」を聴きながら読んでほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=2FK0Tj1sXEQ
まず、場所。二人はどこに住んでいて、「彼」はどこに行ったのか?
「彼」が行った場所だが、1番の歌詞に、「ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で」とある 。「岡山から大阪」も、「三重から名古屋」も、「東へと向かう」ではあるが、ちょっと違うであろう。「彼」が行った場所はずばり東京と考えたい。
3番の歌詞に「でも 木枯らしのビル街」と出てくる。大阪や名古屋は都会だが「木枯 らしのビル街」というイメージではない。
この暑い日々のなか、「じゃあ、東京が木枯らしのビル街か」という反論が出てくるだろうが、35年前はけっこう、東京は寒いというイメージを少なくとも私は持っていた。仙台や札幌という意見もあるが、仙台、札幌なら、「東へと向かう」ではなく、「北へ向かう」となるはずだ。
恋人の「彼女」の、都会がもつ冷たさを比喩した表現でもあるわけだが、それならなおさら、日本一の大都会、東京だと考えざるをえない。
二人の田舎はどこなのか。
東京からめったに行き来ができず、連絡も取りづらい離れた場所だと考えるのが妥当であろう。35年前は携帯電話もメールもなかった(普及していなかった)わけで、二人は手紙 でやり取りしている。
「普通の電話があったじゃないか」と、若い人たちは言うかも知れないが、公衆電話で遠距離通話をしたときの、10円玉がどんどん電話機に吸い込まれる恐怖を知らないからそういうことが言えるのだ。公衆電話でなくて普通の電話でも遠距離はお金がかかったのだ。「彼」は自分の部屋に電話もなかったのであろう。お金があまりない二人が電話をできないほどの距離だと考えられる。
いいヒントが3番の歌詞にある。「いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの」がそれで、「草」イコール牧場という連想がはたらく。そこから、九州の牧場ではないか、それも、福岡の田舎ではなく熊本当たりではないかと勝手に考えている。それは、昔行った阿蘇山の麓の草原が私の頭のなかに残っているからだ。
「九州から東京に行くんだったら、列車ではなく、飛行機で行けよ」という意見もあるだろうが、35年前、飛行機代は高かった。お金がないので夜行列車を利用して上京したのであろう。
二人は、高校時代から付き合っていて、同級生か、せいぜい一つ違い。高校を卒業してすぐに上京したというのではなく、「彼」は田舎の小さな工場で3年ほど働いていて、上京を決意したという感じ。「彼女」は地元の牧場のあと取り娘。「君」「あなた」というお互いの呼び方がそんなイメージを抱かせる。
結局、二人は別れるわけであるが、あまり男を責めてあげてもかわいそうだと思う。「都会の絵の具に 染まらないで 帰って」と都会を毛嫌いする「彼女」と、都会に憧れる「彼」だから、もともと価値観が違ったのだ。2番の歌詞に、「恋人よ 半年が過ぎ」とある。 1番から2番まで半年の時間が経っている。それを単純に当てはめれば、「彼」が上京してから1年半で別れたことになる。妥当だと思う。「彼」は正月休みにも田舎に帰らなかったのだ。
4番の歌詞に「恋人よ 君を忘れて…」とあるので、「彼」の心はもう「彼女」にはない 。「毎日愉快に 過ごす街角」とあるので、新しい恋人の存在さえ見え隠れする。でも、東京に出てきて、悪い道にも進まず元気に愉快に生活できているのだから、良かったと思ってあげたい。
いったん東京に働きに出て、2年や3年で簡単に田舎に帰れるわけではない。まして、順調に行っていればそうであろう。「彼女」が東京に行く気持ちがないのなら、破局は必然的だと言えなくもない。
こんなことを書いている私も、とある地方都市から上京し、すでに30年近くが経とうとしている。上京したときは、「何年間、東京で働こう」とか、そんなことは一切考えなかった 。成り行きで歳月が経ち東京に根を張ってしまったという感じである。幸か不幸か、私には、この歌のような恋人がいなかったので、誰も悲しませることはなかったし。
まあ、取材だ何だと、年に数回は実家に帰っていたから、まったく状況は違うわけだし。
月刊イオで、2008年7月号から「アンニョン!ウリトンポ」という企画を連載してきた。
同胞が少ない地域の同胞社会の様子を紹介する企画で、地方ごとの同胞のつながりや活動の様子を紹介し、同胞のお店やユニークな同胞の方々に数多く登場していただいた。1回目の青森県から最終回の長崎県まで21の地域を紹介した。
同胞社会は、当然、同胞がいてこそ成り立つわけで、地方に行けは行くほど、同胞数が少なければ少ないほど、同胞社会の「過疎化」が進む傾向があるようだ。私の住んでいた地方都市は、けっこう同胞が多く住んでいるところだったので、私ひとりが東京に住み続け帰らないからといって、そこの同胞社会に何の影響もないが、同胞が県全体で百人単位でし かいないというところは、一人の同胞がいなくなるだけで、大きな痛手となる。
生まれ育ったところに住み続けたいという思いがあっても、働く場所がないことが多いだろうし、朝鮮学校がない地方だと子どもを朝鮮人として育てる上でハンディが多いし、子どもが他府県の朝鮮学校に寄宿舎生活を送りながら通ったりすると、卒業後、地元に戻るケー スは少ない。
多くの地方都市に住んでいた若い同胞が、「木綿のハンカチーフ」の歌のように、進学や就職、結婚などを契機に、大都市へと、現在進行形で移り住んでいる。
「木綿のハンカチーフ」に出てくる二人は、もしかしたら同胞ではないのかと、思うときがある。
「アンニョン!ウリトンポ」の連載終了を受け、現在発売中の月刊イオ8月号の「ルポ・ 現場発」のコーナーに、「アンニョン!ウリトンポ」の取材を長く担当した(里)さんが書いたまとめの記事「『ハンディ』に負けない、地方の同胞社会」が掲載されています。ぜひ、お読みください。(k)