何を伝えるか、いかに伝えるか
広告
突然ですが、以下に、2005年に海外のある新聞に掲載された記事を紹介します。記事のタイトルは「謎の殺人化学物質」です。少々長いですがお付き合いください。
この物質はさまざまなガン細胞の中に見出されている。だが、この物質の存在と、この物質の隠れ家となっているガンとの間に何か因果関係があるという証拠は得られていない。少なくとも、これまでのところは。しかし、いくつか驚くべき数字はある。DHMOは致死的な子宮頸ガンの95パーセント以上に見出され、末期ガンの患者から集められたガン細胞の85パーセント以上に見出されているのだ。それにもかかわらず、この物質は今も工業用の冷却材として用いられ、引火を遅らせたり、引火を抑えたりするために利用され、さらには生物兵器や化学兵器の製造や、原子力発電所でも使われている。そしてあろうことか、持久力を有するスポーツにおいて、エリートスポーツマンがこの物質を摂取しているのだ。運動選手は、DHMOを摂取せずにはいられないこと、やめれば死に至ることを知っている。医学的には、この物質は発汗、嘔吐、下痢などの症状を呈する病気にはほとんどつねに関係している。DHMOがかくも危険な物質である理由のひとつは、背景に溶け込んで見えなくなるカメレオンのような性質を持ち、さらにはその状態を変えることができるからだ。固体の時には重い火傷を引き起こすこともあり、高温ガスの状態では年間数百人もの人びとを死に至らしめている。そして液体状態のDHMOを少量肺に吸入したというだけで、毎年何千人もの人びとが命を落としている。
みなさん、この文章を読んでどう思われましたか? 「DHMO、恐るべし」と思いましたか? タネ明かしをするなら、DHMOとはただの水(H2O)のことです。この記事を書いたジャーナリストは、人びとがいかにだまされやすいか、大衆を怖がらせるのがいかに簡単かを示すために、あえてこのような記事を書いたそうです。
実は、これは1990年代から米国などで広まったジョークが元になっています。アンケートなどで「この物質を法で規制すべきか」と聞き手に質問をすると、大半の人が賛成し、DHMOが水であることを見抜いた人はわずかだったということです。
みなさんは、このDHMOのトリックをすぐに見破れましたか? 私はこのジョークをある本で読んで知ったのですが、恥ずかしながら、「DHMOアブねぇー」と、一瞬だまされました。
何が言いたいかというと、ただ事実を伝えるだけでいいのか、いかに伝えるかということも同じくらい重要なのではないかということです。事実を伝えることは大切ですが、伝えようによってはいくらでも読み手をミスリードすることが可能です。上に挙げたジョークはその好例ではないでしょうか。実際、上の文章は事実無根でも捏造でもなく、事実をのべています。かなりセンセーショナルに書いていますが。
これ、日本メディアの朝鮮報道にも当てはまるとは思いませんか。同時に、自分も含めて報道に関わる人びとすべてが肝に銘じるべき問題なのではないでしょうか。何を伝えるか、そしていかに伝えるか。これは、広い意味で書き手の「思想性」に関わってくる問題だと思います。
季節の変わり目にしてはあまりにも急激な気温の変化に少々体調を崩し気味だった連休中、くだんのジョークが載っていた本を自宅で読みながら、こんなことを考えたりしていました。(相)
Unknown
完全に罠にはまりました。
この記事の中でDHMOは実態がつかめないのに情報だけが溢れていて、得体の知れない不安感を覚えます。
日本メディアに侵食されている人には、朝鮮がDHMOのように映っていると思うと、とても恐ろしいです。
読み手を納得させるだけの論理性よりも、何を伝えるか、いかに伝えるか、そして何を伝えたいかが重要なのですね。
寒い日が続きますが、お身体ご自愛ください。
Unknown
コメントありがとうございます。レスが遅れてすみませんでした。
コメントの内容、おっしゃる通りだと思います。
付け加えるなら、メディアは人びとに必要な知識を提供するために、責任ある態度で報道するのか、あるいはセンセーショナルな記事で恐怖をあおるのか、立場を決めなければいけないと思っています。しかし、現状では日本の商業メディアは利益を上げたいという動機があって、残念ながら自制心も足りません。上の例で言うと、水と報じるよりDHMOと言いたいという魅力に逆らうのは今後も非常に難しいでしょう。