マイノリティ、マジョリティ
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9月26日、地元でTUTTIとウリウリコッポンオリのコンサートがあったので家族で見てきた。
約2時間のコンサートでは、東京朝鮮第6初級学校付属幼稚班に通う園児たちも舞台に上がり、悪役オカシーナやストンピーのお手伝いをする即席役者に。その際、一人ひとりが自己紹介をしたのだが、当然のように「キム○○」「チャ○○」と自分の朝鮮名をはっきりと元気に伝えていた。観客席でその姿を見た息子は「○○○○(自分の名前)と同じキムだ!」と連帯を感じたようで、嬉しそうだった。
彼が通う保育園に、朝鮮の苗字の冠した子は現在一人もいない。当然、森田、山田…のように日本名の子どもたちが彼の周りを取り囲んでいるので、いつかは「なんで、りゅうのすけって名前にしてくれなかったの」と咎められたこともあった。来春から彼は朝鮮学校に通うが、保育園の友だちの大多数が地元の公立小学校に行くこともあって、「ハッキョより○○小学校がいい!」と懇願されたこともあった。
日本の保育園の保護者になってから、私たちコリアンが日本の中で厳然たるマイノリティだな、と改めて感じている。それは、幼い息子が「自分は周りとなんか違う」と感じ始め、それを言葉で表現するようになったことが大きい。字を読めるようになって長い物語を楽しむようになる過程で、抽象的な概念について質問されたり、付き合いが4年目になる友人たちと、時には争いながら話を重ねる過程で、彼は「日本人と違う自分」「周りと同じようになりたい自分」を認識するようになったように思う。そして、私はなかなか彼の疑問にフィットする答えを用意してあげられない、もどかしさも感じている。
今後、コリアに同じルーツを持つ友だちの存在は、この間彼の胸に芽生えた色んな「?」「!」を受け止めてくれるのだろう。舞台に上がったコリアンのちびっ子の存在は理屈抜きで心強かった。来春から彼を取り巻く環境は大きく変わる。(瑛)