運動会
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先日、姉に緊急招集されて、姪っ子甥っ子の運動会に出向いた。
休みの日だったが、平日時と同じ時間に起きて、カメラ片手に姉たちと待ち合わせ、
大量の荷物と姪っ子たちと共に会場に着いた。
気づけば「保育園の運動会に参加」するのは、二十何年ぶり。
一つ違うのが、「主役として参加」するのではないということ。
いつのまにかアラサーど真ん中な私は、運動会の会場でその事実に気が付き、一人で動揺してしまった。
「主役として参加」ではないだけで、通常の運動会も、そこはまったく未知の世界なのです。
会場にはたくさんの父母もすでに到着していて、全然知らない人同士でも、「おはようございます」と声をかけあったりなんかしていて、
とてもアットホームな雰囲気。
甥っ子姪っ子たちは踊りと親子の競技など、微笑ましいものばかりで、
その可愛い瞬間を逃すまいとついつい撮る方も知らずに気合いが入ってしまう。
ある記者が、入学式の取材などで写真を撮る際に、親とともにベストポジションを競いあうのが大変と言っていたのをふと思い出した。
今回思ったことは、運動会に「主役として参加」ではない方が結構疲れるのだということ。
しかし、よくよく考えると私の父と母は、保育園から小・中・高と、運動会には必ず足を運んでくれていた。
兄弟4人とも愛知の朝鮮高校に行ったのだが、
兄弟4人全員、10年ほどの間、長野から愛知までの距離を運動会のためだけに、
早朝4時に起きてたくさんの手作り弁当とともに、日帰りで見に来てくれていた。
いま思うと、とても骨の折れる行事なのに、
はるばる遠方まで、私たちの好物を準備してよく来てくれたものだと、頭が下がる。
本当に感謝してもしきれない。
その度にカメラ好きな父はバッチリ写真も撮ってくれていて、アルバムには当時の思い出とともに写真が溢れている。
当時の写真群は私にとってはどれも貴重なものだ。
今回、父の真似をして、運動会の看板の前で姉たち家族の写真を撮ってみた。
私がそうであるように、姪っ子たちが大きくなっても、写真を見ればその姿と思い出をたどれるようにと願いつつ。(愛)