「コッソンイ」の楽しみ方
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今年も「コッソンイ」の季節がやってきた。
「コッソンイ」とは、月刊イオを発行している朝鮮新報社主催の作文コンクールのこと。初級部3年から高級部まで、朝鮮学校に通う児童・生徒を対象にしたもので、1978年から始まった歴史あるコンクールだ。
秋口に応募が締め切られ、現在は作品に対する審査が行われている。当然、社員も記者集団である編集局を中心に、応募作品の仕分けなどに関わることになる。それなりに骨の折れる作業だ。
しかし、それを補って余りあるほどさまざまな発見があるので、生徒たちの文章を読むのは楽しい。年齢によって違いはあるが、初級部の場合だと、作品の題材は学校生活や家族、友人のことなど自分の身の周りの出来事がほとんど。
子どもたちの豊かな感性や精神世界がにじみ出ている文章からは学校や同胞社会の現実の一端を垣間見ることができる。また、学校によっては応募作品のほとんどが同じ題材になることもあるが、書き手の視点によって同じ事柄が全く違った様相を見せるのも興味深い。
たまに知人の子どもや、同僚の子どもの作品に出会うと、普段うかがい知ることのできない彼らの家庭での姿が描かれていて、微笑ましい。
毎年、児童・生徒の作文を読むたびにウリマル教育の素晴らしさを再確認できる。そして、それを一手に担っているウリハッキョ教員たちの頑張りに頭が下がる思いだ。
幼いときから文章を書くのは苦手だった。学生時代の文章ばかりでなく、数年前に書いたものを読んでも、そのダメさ加減に赤面してしまう。文章を書くことを仕事にしている今、学生時代に作文にもう少し真面目に取り組めばよかったと後悔しても後の祭りだ。
文章はいつまでも残る。子どもたちが一生懸命に書いた文章が、いつの日か彼らにとって自分の成長の証が刻まれた宝物になればいいな、と思う。(相)