正月は父方の実家で過ごしました
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クァセアンニョンハセヨ、明けましておめでとうございます。
2011年も引き続き金曜日担当です。よろしくお願いします。
みなさん、年末年始はどう過ごされましたか?
私は大晦日と正月を、父方の実家があり祖母が暮らす山口県の岩国で過ごしました。両親と私、妹、そして祖母、叔父、叔母、いとことその子どもたちが揃って、にぎやかな正月になりました。
元旦。祭祀と食事を済ませたあと、午後に一同連れ立って車で錦帯橋に行ってきました。
岩国といえば錦帯橋。同市を流れる錦川に架橋された木造の5連アーチ橋で、日本3名橋や日本3大奇橋に数えられている有名な橋です。
幼い頃から夏休みと冬休みに岩国を訪れて、それこそ数え切れないほど錦帯橋は見てきましたが、社会人になってからは正月に訪れても錦帯橋まで足を延ばすことはなくなっていました。今まで錦帯橋観光はもっぱら夏で、小中学校時代は毎日のように橋付近の錦川で泳いでいた思い出がありますが、冬の錦帯橋も風情があってなかなかのものでした。
錦川のほとり、岩国城の天守閣を頂く山のふもとにある吉香公園にも行ってみました。吉香公園は1885年、旧岩国藩(長州藩の支藩)を治めていた吉川家の氏神社である吉香神社の境内および付属地が庭園として整えられたのが始まり。公園内には日本庭園や美術館、博物館などさまざまな施設があるのですが、今回、公園内に朝鮮とゆかりのあるものが存在することを初めて知りました。
それは、六角亭と呼ばれる建物で、紅葉谷公園の一角にあります。
六角亭の傍に立てられたプレートにはこう書かれていました。「六角亭は朝鮮各地で身分の高い人々が景観のよい場所に建て憩いの場として利用していたものと言われています。韓国京畿道碧蹄館(ソウルから北に約20km離れたところにある地名)付近にあったもので、1918年に到来したものであるといわれています」。
あとで岩国市のホームページなどで調べてみると、次のような説明がありました。「六角亭は、岩国出身で朝鮮総督を勤めた長谷川好道元帥が朝鮮から贈られたものを1918年に移築しました。」
なるほど。長谷川好道は1916年10月、初代朝鮮総督・寺内正毅の後任として就任。在任中に3・1独立運動を武力で鎮圧した人物です。
植民地として支配した朝鮮から贈られた? 奪ったのではないかという疑念を拭うことができません。
ちなみに、約50年前、吉香公園内にあった岩国高等学校に通っていた私の父いわく、当時、六角亭にあった説明文には、この建物が「豊臣秀吉の朝鮮征伐時の戦利品」だという旨のことが書かれていたそうです。約400年も前の建物がそのままの姿で残っているなんて常識的には考えられないのですが、ではなぜ当時そんなでたらめな説明を掲げていたのか? その後どのような経緯で現在の記述に変わったのか? 興味深いところです。
この六角亭、錦帯橋→吉香公園→岩国城の一般的な観光コースから少し外れた位置にあるため、訪れる人も少ないらしく、この日も静かでした。(相)
Unknown
相さま。ブログを拝見して驚きました。お正月に私も岩国の錦帯橋に行ってきたからです。写真では何回か見ましたが実物を目の前にしじかに橋の上を歩いてみると日本の方々の英知に驚かされるばかりでした。ボランティアの方々のユーモアに満ちた語り部も素晴らしかったです。
バスツアーだったため六角亭が近くにあるなど全く知らず帰ってきたのが残念でたまりません。又いつか機会があれば行ってみたいと思います。
Unknown
オンニョさま、はじめまして。
錦帯橋に行かれたのですか!コメントを拝見して私も驚きました。元日に行かれたのでしょうか。もし午後の時間でしたら、お互いどこかですれ違ったかもしれませんね。あの日は寒空でしたが、錦帯橋の魅力を共有できて、うれしく思います。
六角亭のことは、えらそうに書いていますが、自分も今回初めて知ったことです。もっともっと勉強が必要だと切に感じました。