朝鮮大学校なう
広告
今週火曜日と水曜日に続いて、今日も朝大で取材です。
イオの次号は朝鮮大学校特集。自分が担当するページの取材のために連日通っているというわけです。こんな短期間に連続して大学を訪れるのは、卒業以来初めてではないでしょうか。
それにしても遠いですね、小平市小川町は。
卒業後も幾度となく大学を訪れてきましたが、そのたびになつかしさがこみ上げてきます。私が学生だった頃と比べて、学内の環境も良くなり、設備も充実しているのが一目でわかりますが、変わらないのは自分の学生時代の記憶です。青春真っ盛りの4年間を過ごした場所なので、当然といえば当然ですが。 日本各地から集まった友と過ごした4年間。濃密かどうかは別として、思い出深い日々であることは確かです。 卒業生は多かれ少なかれそう思うのではないでしょうか。住民票のうえでは4年間小平市民でした。
大学は現在、学期末で慌しい日々が続いています。ひと月後には卒業式です。4年生は現在、卒業論文審査の真っ最中だそうです。
3月号の特集内容が決まってからこの間、自宅に保管してある大学時代の思い出の品を久しぶりに見返してみました。卒業アルバムに文集、学級新聞のコピーに講義ノート、それに総括書まで、結構残っていました。私はモノを捨てられない性分なので。今まで掃除のたびにいくつか処分してきたのですが、それをくぐり抜けてきたということは、たぶんこれらの物は今後も残していくと思います。
そして、ありました、卒業論文も!
タイトルは、「戦後、米国の対外政策の支配主義的本質とその矛盾-『トルーマン・ドクトリン』に対する考察を中心に」、です。なんと、手書き!内容の一部はパソコンで打ち込んだ記憶があるのですが、提出は原稿用紙に手書きだったような。 今では考えられません。目次、脚注なども含めて400字詰め原稿用紙65枚。 国際関係論のゼミに属していたので、こういう分野の内容になるのですが、タイトルだけ見れば、論文賞確実の出来。我ながら大見得を切ったものです。卒業後、10数年ぶりに読み返してみました。内容が完全にタイトル負けしています。本や論文の寄せ集めみたいになっていますが、当時は資料を探しに遠くの図書館にまで足を運んだり、英文の公文書を辞書とにらめっこしながら訳したりと、それなりにがんばっていました。懐かしいですね。
卒論で記憶に残っているのは、ゼミの指導教員の言葉です。卒業式が終わった後、私に向かって、自分の中では君の論文は評価が高かった、あともうひとひねりあれば論文賞も取れたよ、と一言。お世辞でも、担当教員に自分の研究内容が評価されて悪い気はしません。大学卒業後、記者として短い期間ながらも朝鮮半島情勢や政治分野の記事を書いてこられたのは、そんな言葉が自分の心の支えになっていたからなのかもしれません。
思い出話はさておき、締め切りが迫っているのに取材が終わっていない状況に正直かなり焦っていますが、がんばります。
みなさん、イオ3月号をお楽しみに!(相)