仙台にいます
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昨日深夜、朝鮮新報の記者とともに今回の大地震の被災地である宮城県・仙台市入りしました。朝7時に神戸を出発した兵庫同胞対策委員会の一行が支援物資を運ぶマイクロバスに東京から合流・便乗し、東北道を通って一路仙台へ。緊急車両の許可を取り、高速を通ったので渋滞はありませんでしたが、途中の大雪などで時間を食い、学校に着いたのは夜11時半を回っていました。
(一番上の写真が雪に包まれた東北ハッキョ。次の写真が、兵庫からの支援物資を運ぶマイクロバス)
現在、東北ハッキョには50人あまりの同胞、総聯の活動家、教員らが避難生活を送っています。書きたいことはいろいろあるのですが、一つだけ。避難者の生活は苦しく、さまざまな困難に直面しているということ。各地から同胞の支援物資が続々と届いていますが、やはりライフラインの寸断が大きく、以前の日常生活とは程遠い暮らしを強いられています。電気は通るようになりましたが、食事は朝と夕方の2食、少ない水を節約しながら生活しています。それでも昨日は夜遅くまで、一行の到着を待ち、温かく迎えてくれました。(写真は東北ハッキョで食事をする同胞たち)
今、この文章を書いている横で、毎朝定例の会議が開かれています。今日の予定は、今から市内各地の被災地同胞宅を回る予定です。午前中には北海道から救援隊が到着する予定です。詳しい内容は朝鮮新報のウェブサイトとイオのブログ、そして私個人もツイッターで可能な限りつぶやいていきます。(相)
頑張って
初めまして、初めてコメントします。
人間、国籍や肌の色何て関係ない、同じ空の下一緒に精一杯希望を持って行きましょう。