放射能のなか、悶々と過ごす日々
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先週の土曜日、息子を東京から関西の私の地元へと避難させた。
福島第1原発の事故により放出された放射能は、人々の食生活だけをとっても、1都5県の野菜や加工前の牛乳などから放射性物質が検出されるなど、深刻な影響を与えている。
私の住んでいる東京都の水道水からも放射性物質が検出され、22日には乳児の水道水の摂取を制限する措置がとられている。報道が出て3日ほどは、どこのスーパー、コンビニでも水が売れ切れで手に入らない状態だった。その後、基準値よりも下がったとしているが、放射性物質が含まれていることに変わりはなく、小さな赤ちゃんをもつ家庭は、気が気でないだろう。ふたたび、基準値を上回ったということになっても、乳児がいる家庭に優先的に水をまわしてあげるため、不必要な購入は控えてもらいたいと思う。
その水の問題があって、これ以上手をこまねいていてもダメだということで、とりあえず息子だけでもと、避難させたわけだ。
東京都の石原知事が、水道水をガブガブと飲み干すパフォーマンスを見せていたが、私の連れあいはそれを見て、「あんな年寄りがいくら水を飲んだって、何も安心できない」と言っていた。たまに鋭いことを言うのだ。
最近の報道を見ていると、「日本の基準値は厳しすぎる」「基準値を見直そう」「体内に入っても健康には問題のないレベル」などという感じのものが多い。テレビに出てくる「専門家」はほとんど、「問題ない」を繰り返す人たちである。
放射性物質は、体内に入った積算量が問題。今回の事故が起こらなければ(そもそも原発がなければ)放射性物質はまったく放出されていなかったわけで、いくら「問題ないレベル」と言われても納得がいくわけがない。また、例えば1ヵ月で確実に放射性物質放出が止まるとわかっていれば、それなりに我慢できるが、いつまで続くのかわからず、日々、体内に蓄積されていく。今日、明日、急に症状が出ないから、逆にたちが悪いとも言えるのだ。
東京電力や原子力安全委員会は、今回の地震や津波を「想定外だった」と言うが、そんなはずはない。隕石が直撃したというのなら話は別だが、充分に予測できたはずだし、当然、想定して対処しておかなければならなかった。
今後、福島第1原発がどのような事態に陥るのか、予測できない。ともあれこれから、脱原発に向けて社会全体が取り組んでいかなければならないと思う。今回の震災は日本社会のあり方や人々の生き方を大きく変えるきっかけになるものだと思うし、変えるきっかけにしなければいけない。
土曜日に東京を出発した息子は、今日また東京に戻ってくる。実質、たった4日間だけの避難生活であった。学校のことなどがあって帰ってくるわけだが、生活の拠点を東京以外に移すという財力も行動力も根性もあるわけでなく、対処のしようのない状況に悶々とするしかないのだ。
まあ、人生の折り返し地点をとっくに過ぎた私は別に良いんだけれどね。(k)