におい
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イオ5月号の締切日が迫る。東日本大震災関連で現地で取材した内容を必死にまとめている。地震発生から3日後の3月14日から月末までの期間、朝鮮新報社の現地取材チームの一員として、数多くの記事を被災地から発信してきたが、自分が書いた記事を読み返してみながら、被災地の姿を十分に伝え切れていないと反省することしきり。
何を伝えられていないのか、原稿の中に何が足らないのか考えてみた。そして自分が出した一つの結論、それは「におい」だ。
においは人間の本能や、特に感情と結びついた記憶と密接な関係があると言われている。嗅覚は人間の中でもっとも感情を刺激する感覚だという指摘もある。1世ハラボジ・ハルモニの独特のにおい、恋人がつけていた香水のにおいなど、かつて自分の人生の中で接してきたさまざまなにおい――。それと同じにおいに接した瞬間、昔の思い出や当時の光景が鮮やかにフラッシュバックした経験は誰しもがあるだろう。
宮城や福島といった東日本大震災の被災地で自分の嗅覚を刺激したあのにおい。気仙沼の市街地で嗅いだ潮のにおいと焦げ臭さが入り混じった不快なにおい、海岸近くの町で目にした、ほんの数日前まで多くの遺体が埋まっていたであろう、瓦礫の山から発せられる何とも形容しがたいあのにおい。多賀城市の学校に設けられた避難所、数百人の被災者が生活する体育館の中に入ったときのむせ返るようなにおい。そして、石巻で「焼肉塾」メンバーが炊き出した焼肉の、食欲を刺激する香ばしいあのにおい。
それらの現場に立会い、写真を撮り、記事の中で描写もした。でも、自分自身が見て感じたことの半分も伝えられていないおのれの非力さを痛感する。そして、思う。自分が被災地で目にした情景にリアリティを与えていたのは、においだったのかもしれないと。時が経つにつれて、その情景が自分の記憶からどんどん消え去っていくとしても、あの時のにおいだけはたぶん忘れないだろう。
いくらうまい表現をひねり出しても、言葉で伝えることはできないかもしれない。いや、文才のある人なら出来るかもしれないが、たぶん自分の貧弱な文章力ではその境地に達することはできないだろう。
といった内容を昨日の時点で書いておいた。そして、自宅への帰り道。都内の駅のホームで帰りの電車を待っていると、地震に遭った。駅の天井が揺れていた。東京は震度3。それ以上は揺れただろうと思いつつ、さらに情報をチェックする。震源地は宮城県沖、宮城北部などで震度6強! 今回の大震災以降の最大の余震だという。
3月11日、あの日からもう一月が経とうとしているが、震災はまだ終わっていない。余震もそうだが、行方不明者がいまだ1万5000人いるという胸の張り裂けそうな現実。総聯対策委員会の集計によると3月31日現在、同胞の安否未確認者も250人あまりいる。彼らの家族や友人にとって3月11日はまだ続いている。
あのカタストロフがたかだか一月で終わるはずがない。死者、被害規模すら確定されていないのに。だから、ちまたで広がる「復興」「がんばれ」の大合唱にはどうしても違和感を持ってしまう。自分が築き上げたものが一瞬にして全てなくなってしまう喪失感は体験した人間にしかわからない。そんな人々がたかだか一月で「さあ、頑張ろう」という気持ちに果たしてなれるのか。そういう人もいるだろう、でもそうじゃない人もいる。被災地の復興は当然必要だが、「喪に服す」期間というか、悲しみにくれる被災者に寄り添う時間というか、そういうものも必要なのではないだろうか。
正直、被災者の悲しみを私は想像できないし、すべて理解することもできない。だって、私は地震の被害を受けていないし、肉親も失っていないし、帰る家もあるから。そんな人間が無邪気に「がんばれ、がんばれ」と言ったところで、薄っぺらい言葉に聞こえてしまう。それでも被災地の再生のために出来ることはある。勇気づける言葉ももちろん必要。それに加えて、被災地のためにできることを探し、実行することがこれから求められると思う。
そして、いろんなところで「がんばれ」「日本は一つ」「一人じゃない」と言っている人たちに一言。もちろんそれは正しいことで、間違ってはいないけど、自分は安全圏にいながらそういう発言をしているという自覚だけは持とうよ。(相)
「相」さんにしか書けない「物語」を
「K」さんでも、「里」さんでもない、「相」さんだからこそ書けること、書かないといけないこと、期待しています。
数時前にが書かれた「今回の福島取材で、同校の教務主任が、15年前、大学時代の教育実習で私の担当した生徒だったということが判明。そして、教育実習終了時に学校側に贈った手作りの記念品も壁に掲げてあった」
何か「物語」になりそうなんですが。いつかそんなこともつづってください。
ウリハッキョを記録する会 金日宇