宮城へ来て
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水曜日、高速バスで宮城県に入りました。
震災から一ヶ月以上が経って宮城の同胞たちの生活はどう変わったのか、また変わっていないのか。彼らが何を思い、何を求めているのか。被災地の「いま」を取材するためにやって来ました。
仙台市内に入って最初に受けた印象は、「想像していたより正常」でした。しかし森の奥に在る東北初中に到着して校舎を見て回ってから「正常」などという考えは瞬時に消え去りました。
東北初中の校舎は倒壊の危険性があるためもう使うことができません。新学期は寄宿舎を仮設校舎としてスタートしました。寄宿舎の一室を教室にして、8畳ほどの小さな部屋で最少1人、最多で6人の生徒が授業を受けています。生徒数が少ないので国語や算数といった基本科目の授業に関してはさほど支障はありません。ですが雨の日の体育となると、教室が狭くて準備運動をするのもままならないほどでした。初級部2年生の女の子は「元の校舎のほうがいい。大切だから」と、幼いながらも1年間過ごした校舎とのお別れを悲しんでいました。反面、ある教員は「以前より生徒たちの顔が近くてよく見える」と、楽観的でもあります。仮設校舎は教員たちの愛情のこもった環境づくりにより、立派な「学校」です。仮設校舎での学校運営は問題も多々ありますが、そこかしこに全国の同胞から送られてきた応援メッセージが掲げられていて、学校はものすごく大きな愛情で包まれている、そんな印象を受けました。
対策委員会に同行して被害の大きかった石巻市と女川町にも行ってきました。
沿岸地域に限っては同じ被災地でも、被害の度合いは仙台市内とは比べ物になりません。まったくの別物です。
文字通り、「壊滅」。以前ここに何があったのか、ここが何だったのかも判別できない。ここで失われた多くの命と、ご遺族の悲しみは簡単な言葉ではとても言い尽くせません。3・11の地震の破壊力と被害がいかほどだったのか、自分は何ひとつ分かっていませんでした。これまで口にした数々の軽はずみな言葉を恥じ入るほど。
いま一度被災者の皆さまに深くお見舞いを申し上げます。
ここへ来てから否応なしに飛び込んで来るのは、生と死が混在した異様な景色です。
瓦礫の山、車の墓場、鼻につく異臭、撤去や建設の風景、人々の復興への営み。
ご家族の安否をいまだ確認できていない被災同胞にもお話を聞くことができました。彼らの痛みは癒えていません。癒えるはずがない。だけど立ち止まっていられない。必死に生きていかなければならない。そう感じました。
被災地に咲く満開の桜が、それでも季節は巡り、春は来ると言っているように思えます。
この間東北初中で寝泊りしているのですが、専従活動家や教員、同胞の方々に本当に本当にお世話になっています。
寝食の心配から取材の段取りまで、彼らがサポートしてくれるおかげで何不自由なく生活し、取材をすることができています。不便など、何一つありません。ややもすれば、ここが被災地でこの人たちが被災者だということを忘れそうになるくらい、明るく、力強く、暖かい方たちです。
いま被災地へ来て、深い爪痕を目の当たりにし一体自分に何ができるのかと無力さを感じずにはいられません。でも見て聞いたからには伝える義務がある。ここで出会ったすべての方々に、微力ながらも精一杯の言葉でお返しをしたい。残された時間のなかでより多くの声に耳を傾けたいと思います。
今日もがんばります。(淑)
負けないで!
自然災害の中で、人間の無力さを感じます。
人間の科学がどんなに進歩しても、人間は人間のまま。
西遊記の孫悟空が、どんなに頑張っても、お釈迦様の手の平の上に飛んでいるだけ!と同じ事だと思う。
友達が石巻市出身で、帰ったそうですが、市街の風景を見て只唖然としたそうです。
石巻市で津波に飲まれて、八戸市で遺体が発見されたと聞いて、しばらく俺は絶句しました。
俺より、脳天気で楽観的なヤツだけど、少し弱音を吐いてました。
どうか、負けないで!と伝えました。
そうしか言えない…。
頑張ってる人に頑張れ!という言葉は禁句だと思います。
日々、そう願うばかりです。
Unknown
先日、放課後のハッキョを訪ねました。夕闇迫るなか、無残に傾いた建物の教室やグラウンドを見せていただき、その状況のなかで元気に登校する子供たちのことや、今後の展望などについても丁寧に語っていただいた崔先生に感謝です。
一刻も早く平静を取り戻し、子供たちの安心して学べる環境づくりに、出来ることをさせていただきたいと思います。それは、行政の側への働きかけも日本社会に住む者の役割と思います。
震災直後、普段から校長先生同士のつながりがあった八木山中学校に支援物資を運びこみ、地域住民の炊き出しや生活支援を行ったと聞きました。このような地域の協働が広がっていく機会となればと願っています。
Unknown
>たけちゃんさま
コメントありがとうございます。
被災地へ来て「がんばれ」という言葉がときに残酷で、そう簡単に口にしてはいけないと何度も思いました。被災者の悲しみに寄り添う時間も必要だと。
>殿平 真さま
先日は遠方からご足労ありがとうございました。崔先生にご挨拶お伝えしますね。
そう言ってくださり、とても心強いです。震災で失われた命には返られませんが、これを機に交流がやつながりが根深く広がっていくことを願います。
今後ともよろしくお願いいたします。