被災地・岩手をたずねて
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おとといまで、被災地である岩手に行っていました。
滞在したのは3日間だけでしたが、その間いろんな同胞たちに話を聞くことができました。
沿岸地域の数ある被災地の中で、私は大船渡に行ったのですが、
テレビや新聞で見る瓦礫の山はまさにそのままで、かろうじて瓦礫の間に車が通れる道ができているくらいでした。
津波の力で家の上に乗っかってしまった家、建物と建物の間に乗っかった車など、そのままの状態でした。
元の町がどうだったかなんて、到底想像もできません。
津波の威力のすさまじさを感じたし、この中で同胞たちが助かったのが奇跡のように思えました。
震災から1ヵ月以上経って、被災地では当初とは異なる解決課題が出てきていました。
ライフラインも徐々に復旧しだして、個々人が自分の今後の生活に対してようやく落ち着いて考えられるようになり、動き出しています。
住宅問題、そして仕事の再開が、大きな課題です。
現在、仮設住宅の建設は用地の確保などの困難から大幅に遅れています。
また、被災者の仕事の問題に関しても、すぐには解決できない構造的な理由がありました。
今回取材に行った大船渡の場合、主な地元の産業が漁業であるため、
まずは港の復興がなされないと、そこに付随する飲食業などの復興は難しいと、被災した同胞は話していました。
田舎町であるため雇用も少なく、ふたたび自営の店を再開させるしか生計のめどが立たないのです。
大船渡で出会った同胞たちはみんなそれぞれ、家や自営の店舗を流された人たちでした。
私が印象的だったのは、各々が前を向いている姿でした。
家や店舗を流され、何も残らなかったとしても、時間は流れていき日々の生活は差し迫ってくる。
気を落としてばかりいられないというきびしい現実の中で明日のことを考えている同胞たちがたくましく映りました。
いわゆる「過疎地」の同胞社会の中での人と人とのつながりについても、今回の取材を通じて再認識しました。
岩手は他の被災地である宮城や福島、茨城よりも同胞数が少なく、ウリハッキョもありません。
同胞一人ひとりの存在が貴重な岩手の同胞社会に対し、
今回の震災がもたらした被害は、目に見えること以上に甚大です。
総聯県本部委員長をはじめ、少ない同胞たちが一丸となって駆け回り、被災した同胞たちを物心両面で支えていました。
はたから見ている私からしても、倒れてしまうのではないかと心配になるくらい、動き回っていました。
そんな中、被災同胞たちが口々に語っていたのは、悲しみや苦しさではなく、
たくさんの同胞たち、そして祖国への心からの感謝の言葉でした。
店舗を流失したある同胞は、近年総聯との付き合いをあまりしてこなかったそうですが、
今回祖国からの慰問金を受け取って本当にありがたかったとこぼしていました。
まさか自分達がもらえるだなんて思わなかった、本当に本当に感激したんだと言っていました。
総聯県本部の対応からも、守られていると実感したし、「負けずにがんばろう」という気持ちがわいてきたといいます。
そして、盛岡にある県本部事務所に行った際、日本各地から送られてきた救援物資の多さを見て、改めて力を得たと話していました。
困難な時ほど、組織の力、人と人とのつながりがどれだけ力強く、ありがたいものなのか、
今回の取材をとおして肌で感じました。(里)
Unknown
今日の記事は元気をくれました。コマッスムニダ!本当にそうですね。祖国からの見舞金はお金ではないのです。私は教育援助費を頂いて学校に通っていたときもいつも思っていました。祖国から送られて来るお金はお金であるけどお金ではない、祖国が<遠くにいても、いつも君達を忘れていないよ。君達には祖国があるんだよ。祖国が君達を見守っているよ>という祖国の力強いメッセージ―だと思っていつも勇気づけられていました。
オンニョさまへ。
そうですね。単純にお金をもらえたからありがたい、とかそういうことではないと思いました。
初めて自分と祖国がつながったというか、そういう感覚を覚えたのかもしれません。
その同胞はまた、「こういうことになって初めて同胞の(本当の)ありがたみがわかった」とも言っていました。
私自身、心からの言葉を話してくれるその同胞の姿に感動してしまいました。