ガン告知のこと
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昨日、俳優の児玉清さんがガンで亡くなったというニュースが流れた。最近、私の知人二人も立て続けにガンで亡くなっている。児玉清さんは77歳だったが、二人は私よりも年下、まだ50歳手前だった。
話を聞くと、二人とも1年ほど闘病生活を送っていてガンだということがわかっていたので、自分の余命がそう長くないことは覚悟していたのだと思う。そういう時、人はどういう心境で日々の生活を送るのだろうか? 身近な人のガンによる死を見て、そんなことを考えるようになった。
昔は、ガンになったとき、本人に告知するかどうか、けっこう慎重になっていた。しかし、今は当然のように告知しているようだ。ガンと言っても、早期発見で治る確率が高い場合と、末期で手がつけられないという場合と、まったく違うわけで、そこでは告知のもつ意味も当然変わってくるのだろう。
ネットで調べてみると、ガンを告知するようになったのは、患者の知る権利を尊重するという考え方が広がったから、インターネットをはじめ情報の入手が簡単になり自分の病気を患者が判断しやすくなったから、告知することで患者と医者がともに病気に立ち向かうことができるから―などの理由によるようだ。本人に本人の病気を伝えるのは、考えてみれば当たり前とも言える。
ガンを告知するかどうかが問題になっていた頃から、もしガンになったら告知してもらいたいと思っていた。でもそれは何もない状態で頭の中だけで考えていることであり、実際に自分がガンになり、それも末期で助からないとなると、告知されたときに、ぜったいに冷静でいられないだろうし、ひどく取り乱してしまうかもしれない。
もし余命半年といわれて、その半年をどのように過ごすだろうか? たぶん、ほとんど有意義には過ごせないのだろう。身の回りのことを整理できるぶん、急死するよりは良いのだろうか。ポックリ逝ったほうが、周りに迷惑をかけなくて良いのだろうか。
「人生、50年」と昔は言われていて、その歳を越えたとはいえ、やはりいま死ぬのは勘弁してもらいたい。
まず、子どもがまだ成人していない。育てる義務があるし成長する姿を見たい。
仕事をまだ引退していない。月刊イオは、私がいなくなったからといって、何事もなく発行され続けるだろうけど、社会的に与えられた仕事があるのに、それを自分の意思とは関係なく中断するのは残念だ。
何よりも、いま死ぬことによって今後の世界がどうなっていくのかを知ることができないのが一番、悔しい。あと30年生きられるとすると、30年間の世の中の変化を見ることができる。
分断されている朝鮮半島はどうなるのか、過去の国家犯罪を清算せず在日同胞をいじめ続ける日本という国はどうなるのか、在日朝鮮人社会はどうなるのか…。自分が主体となって関わっている問題も、直接関わっていない世界の国々のことも、今後、世の中がどうなっていくのか、1日でも長く自分の目で見続けたいと思っている。そのためには、長生きするだけでなく、ボケずにしっかりとしていなければいけない。これはなかなか難しい。
今日は暗い内容になってしまい申し訳ありませんでした。せいぜい健康に注意してボケずに長生きしたいと思います。
最後になりましたが、月刊イオ6月号が完成しました。今月の特集は、先月に引き続き震災問題、「被災地のトンポたち」です。被災地の同胞たちの姿や朝鮮学校の現状を伝えています。また、河庚希さんと高演義さんによる連載「往復書簡~在日コリアン次の百年~」は素晴らしい内容になっています。ぜひお読みください。(k)
Unknown
歴史に名を残した人物の多くには、10代、20代の若者は沢山いらっしゃいますね。朝鮮の歴史にも。
亡くなった方の魂が永遠となるためには、生きている人が個人の業績を引き継ぎ、志を同じくすることだと、朝鮮で習いました。
私も、明日死んだら、と、考える時が多々あります。
生きている喜びをかみ締めて、私に良き人生を与えてくれたすべての人の為にも、今日を精一杯生きなければ、と、深く考えさせられました。
Unknown
僕の妻は3年前に死にましたが、告知する場合、がんの告知と余命の告知とは別ですね。
入院直後に医者から、あと1か月の命、と言われましたが、妻にはそのこと最期まで言えませんでした。
必ず治るから、と毎日励ます以外のことできませんでした。
被曝二世で5年前の乳がんの再発でした。
医療費はただでした。
命の尊さ
兎角『命』を取り上げると暗くマイナス思考におもわれますが、大切な課題だと思います。
皆んな自分だけは死なないと思いたいから、避けて通りたいんです。
貴重ないい話。ありがとうございました。
『大切な命』を大切にしたいです。
Unknown
Kさま。みんな似たようなことを考えているのですね。私も命について時々考えます。
明日はどうなるのか誰も分かりません。ガンだっていつ発病するか誰にも分かりません。でも若いときと違って60を過ぎてから時々思うことはいらないものを少しづつ処分して(いろんな意味で)身軽になって残った人たちの負担を少しでも減らさなきゃと思います。
少しづつ欲を捨て、でも最後まで何事に対しても意欲だけは失わず生きていたいなぁと思います。健康第一!そのためには意識的な努力が必要です。笑ってください。私も健康を維持し回りに迷惑かけまいと毎朝30分歩き週2回プールに行っています。
Unknown
うしお君さま、いつもコメントありがとうございます。私も、今を生きるわれわれが、毎日を精一杯生きなければいけないと思っています。
kameさま、確かに、ガンの告知と余命の告知は違いますね。私も同じ立場だったら、いえなかったと思います。
原っ葉さま、このような話も、暗くならないようにこれからも取り上げていきたいと思います。コメントありがとうございました。
オンニョさま、いつもコメントありがとうございます。いつまでもお元気で、創作活動を続けてください。
見事に克服
私は30代の若さで数ヶ月前、誰が聞いても恐れるあるガンにかかりました。しかし、超早期発見、副作用ゼロに等しい、髪の毛もそんな抜ける事もなく今は外来受診のみです。そんな私は強運です。
在日の児玉清
日本人と違う症状でしたね