「明日の神話」について思う事
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先週、岡本太郎さんについてブログを書いたところ、「明日の神話」について言及したのなら、
今話題になっている別の絵を付けた事件についても言及してほしかったとコメントを頂きました。
この事件を初めて目にしたときは、<「明日の神話」に悪質ないたずら描き>という見出しが見えたので、
あんな素晴らしい作品が台無しになってしまったのか!?と焦り怒りながら記事本文をクリックしましたが、
よくよく記事を読むと作品自体はどこも汚されていない、つぎ足されていたのが福島第一原発の絵、
絵柄もなじむように似せて描いていたので、どこぞの岡村太郎さん好きのアーティストがやったのではないだろうかと思っていました。
そして、張り付けた犯人が「チン←ポム」というアーティスト集団だということがわかったようです。
芸術家グループが表明=岡本太郎氏の壁画いたずら―福島第1原発事故の絵(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000165-jij-soci
この事件に関しては、いろいろと否定的な声もツイッター上などで聞こえてきますが、
私個人的には決して「けしからん!」とは思いません。むしろ、おもしろいやり方だと感心させられました。
コメントにも書きましたが、岡本太郎さんが生きていたとしても大笑いして許したと思います。
そして現在の日本でもそういった形でフィーチャリングされるこの作品の不変の力強さと
岡本太郎さんの偉大さを改めて認識しました。
この作品「明日の神話」はもともとはメキシコのホテルに設置されるため描かれたものでしたが、
経営状況悪化のためホテルはOPENされないまま放置され、この作品も居場所がなくなり、長らく行方不明になっていたそうです。
それを彼の養女であり良き理解者の岡本敏子さんが探しあて修復、みごと日本で復活されたものです。
「明日の神話 再生プロジェクトオフィシャルホームページ」で岡本敏子さんはこの作品について以下のように語っているのが紹介されています。
それを紹介し、この作品の持つ現代の世でも通じるその意味と意義についてまた一度振り返りたいと思います。(愛)
…(略)だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。…(中略)
画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、
それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、
地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。
明日の神話 再生プロジェクトオフィシャルホームページよりhttp://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html
反原発の意図はなかった?
東京新聞によるとChim↑Pomのリーダーは取材に対して「反原発の意図はなかった」と語ったそうですね。
じゃあ何だったんだよ、と思ってしまいました。
Chim↑Pomは、2008年、広島市上空に「ピカッ」の文字を描いて批判を受けたグループなんですね。
Chim↑Pom展「REAL TIMES」ってのが、5月20日(金)から25日(水)まで江東区で開催されるらしいので、観にいってみようかと思います。
http://www.fashionsnap.com/news/2011-05-18/chimpom-realtimes-311/