6・15共同宣言11周年を迎えて
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一昨日の6月15日は6・15北南共同宣言発表11周年にあたる日でした。
しかし、11周年に際して開城で開催されるはずだった共同記念行事は中止になり、北と南の関係は依然悪い状態が続いています。
ということで、今回のブログは6・15宣言にちなんだ話を。
私は昨年イオ編集部へ転属になる前、朝鮮新報の記者を5年ほどやっていて、朝鮮半島情勢など政治分野を担当していました。1年の3分の1から4分の1の時間を同紙平壌支局勤務で過ごしながら、北南関係の現場にも身を置きました。
この間、会談や行事の取材でソウル、釜山、光州など南の各地を訪れたこと3度。 飛行機の直行便を利用して、平壌から北側代表団の一員として南を訪れることができたのは本当に貴重な経験だったと思っています。
税関はフリーパス、飛行機から降りると下に迎えの車が待っていて、宿泊先は5つ星ホテルなどVIP待遇でした。しかし、当然ながら現地で行動の自由は全くなし。監獄につながれているような錯覚にも陥りました。
北南関係は外国との関係とは違います。しかし同族とはいえ、常に和やかな雰囲気かというと決してそうではありません。ときに外交交渉も真っ青のドロドロとした現実を垣間見ることになりました。双方の思惑がぶつかり合い、主導権を奪い合う。駆け引きが半端じゃないです。会談場の閉ざされた扉越しから怒声が聞こえたり、一斉に席を立って会談場から出てきたり。疑心暗鬼になり、罵り合いながらも何とか妥協点を探し、時に酒も酌み交わしながら、一つ一つ合意を積み上げていく。その繰り返しでした。
このような場面を何度も目撃すると、半世紀以上にわたって分断され、異なる体制化下で暮らしてきた北と南の統一の難しさを実感します。それからは無邪気な楽観論を口にすることはできませんでした(記事には書いていましたが)。
言いたいことは2つ。
一つは、6・15宣言前と後では状況に質的な変化があるということ。在日同胞記者が平壌や日本から直接南を訪れて取材活動するなどということは、6・15以前では考えられなかったことです(前例がなかったわけではありませんが、頻繁ではなかったでしょう)。
もう一つは、平和統一は長く険しい道のりだということ。これは後ろ向きな発言でもなく、悲観論を広めようというものでもありません。2000年以降、短い期間ながらこの分野を取材してきた自分の見解です。
現在、北南関係と祖国統一をめぐる情勢は厳しいといえます。北と南の最高指導者がサインした文書ですら、一方の政権交代によっていとも簡単に反故にされる無情さに、あきらめやある種の絶望感を抱いている人もいるかもしれません。でも、私はこれは一時的な困難であり、平和統一へと至るうえでの試練の一つだと思っています。北と南は過去の対立と反目を乗り越えるために6・15宣言を採択し、平和的な方法で自主的に統一へ向けて歩んでいくことに合意しました。私は朝鮮民族がどんな困難が前途にあっても、それを乗り越える叡智を持っていると信じています。
東日本大震災などもあって、今年の6・15に対する関心度は例年に比べても低いような気がします。ある意味仕方のないことかもしれませんが。でも、「6・15共同宣言? ああ懐かしい。そんなこともあったね」などと振り返るようにはなってほしくありません。この問題は現在進行形であり、宣言を履行し、その中でうたわれた理想を具現化する役目を担っているのは、ほかでもないわれわれ朝鮮人なのですから。(相)