原発問題、正しい言葉づかいを
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発生から3ヵ月以上経つ現在も収束の道筋が見えず、混迷の度合いをますます深める東京電力福島第1原子力発電所の事故。
事故発生から「放射線」や「放射能」、「放射性物質」といった言葉が連日新聞や雑誌、テレビなどを賑わせている。報道を見ていて気になるのは、意味が明確に異なるこれらの言葉が同じようなニュアンスで使われているケースが多いこと。報道にたずさわる人間は最低限、放射能・放射線・放射性物質の違いくらいは理解して報じるべきだと思うが、大手メディアからはじまって在日同胞系のメディアでもいまだに混同して間違った使い方をしている。
そこで今回は、この場を借りて原発事故関連の用語の使い方について指摘しておきたい。
まずは、言葉の定義から。
放射線:高いエネルギーを持つ電磁波と粒子線の総称。簡単に言えば光線。物質を透過する性質を持つ。さまざまな種類があり、X(エックス)線、α(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線、中性子線などがある。一時的に大量に(あるいは少量でも長期的に)浴びることで健康に悪い影響を及ぼす。放射線には自然放射線と人工放射線がある。自然放射線は地球や宇宙から生成されて飛び回っているもの。人工放射線は核実験によって生成され環境へ放出されたものや、原子力発電や産業、医療の現場で発生する。自然放射線でも人工放射線でも放射線自体には変わりがなく、自然放射線が体にいいわけではない。
放射能:原子核が崩壊して放射線を出す能力、性質のこと。
放射性物質:放射線を出す物質(言い換えれば、放射能を持つ物質)のこと。一般的に耳にする放射性物質は人工放射性物質のことで、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなど。ネット上などでは、放射線・放射能・放射性物質の関係を懐中電灯や電球を例えに説明されている。例えば、「光が放射線、懐中電灯が放射性物質、光を出す能力が放射能にあたります」(北陸電力HP)。
これらは似た感じの言葉であるため、使い方が間違っていたり、ひとくくりにされて使われている場合もよく見受けられる。たとえば、「放射能漏れ」。放射能は「能力、性質」のことなので、「漏れ」るという言葉遣いは明らかにおかしい。ここでは、「放射能」を「放射性物質」と「放射線」の2つの意味で使っているケースがある。
では、今回の福島第1原発事故ではどちらの表現が適切なのか。今回、問題となっているのは放射性物質漏れだ。爆発によって原発から漏れ出したヨウ素やセシウムなどの放射性物質が海中や地中、空中に広がり、各地で放射線を出して人や環境を汚染している(たとえば、漏れ出した放射性物質が町に降り注ぎ、そこに住む人々が放射線にさらされたり、人体に吸い込まれた放射性物質が体内から放射線を発して、人体内部から被曝するなど)。
今回の事態は放射性物質が漏えい・拡散したことに起因しているのであって、放射線が原発から漏れ出しているからではない。単に、原発の建物から放射線が漏れているというのであれば、隙間や壊れた部分を直して、漏れるのを防げばいい。しかし実際には放射線を発する物質そのものが飛び散って広範囲に降り注いでしまい、さまざまな場所で放射線を発し続けているので深刻だ。この場合だと「放射性物質の漏えい・拡散」という表現が適切で、さらに正確に言うと「福島第1原発の爆発事故によって漏えい・拡散した放射性物質による汚染」となるのではないか。
上に挙げた例でもわかるように、「放射能」=「放射性物質」「放射線」という誤用が多い。放射能は「放射線を出す能力」のことなので、新聞やテレビでよく見られる「放射能汚染」や「放射能を浴びる」は言葉の本来の意味からすれば間違った使い方で(意味は通じるが)、正しくは「放射性物質による汚染」、「放射線を浴びる(あるいは放射線にさらされる」になる。「汚染」は人以外に環境に対しても使われる(町が放射性物質で汚染された、など)。反対に、「除染」とは「体外の衣服などに付着した放射性物質を取り除くこと」で、これも人、環境の両方に使われる。
「放射能漏れ」や「放射能汚染」という誤った言葉遣いはしかし、一般に定着し常用されているのが現実だ。一方で、英語では放射線は「radiation」、放射能は「radioactivity」、放射性物質は「radioactive materials」と表記され、意味も厳密に区別されている。
「そんな細かいこと、どうでもよくない?」「意味が通じればいいじゃん」と思うかもしれない。しかし、一般に定着しているとはいっても、誤った言葉遣いに無関心だったり、そのまま倣うというのは、メディアに携わる人間として失格だと思う。
「3・11」(地震と津波、原発事故)によって、われわれを取り巻く生の環境は劇的に変化した。もう、まったく以前と同じような状態には戻れない。これからは原子力に関する基本的な知識を身につけることが、この地に生きる全ての人々にとって必要になる。在日同胞社会でも、学校や職場で放射能関連の正しい情報を得る場を設けるべきではないだろうか。(相)