映画「100,000年後の安全」
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皆さまお盆休みはいかが過ごされましたか?暑気払いできましたか?
休暇明けの編集部には各地のお土産がたくさん。昨日のブログで(相)さんも書いていましたが、イオ編集部のみんなもそれぞれ非日常を満喫したみたいです。
私はといいますと、休暇の数日前に海外旅行を思い立って友人らに持ちかけたら「急すぎるわ!」とことごとく断られ(涙)、休暇は都内でごく普通の日常を過ごしていました。
特筆する出来事がないので、この間観た映画の紹介をしたいと思います(季節感皆無)。
何作か観たなかで印象深かったのは、フィンランドの放射性廃棄物の最終処理施設に潜入したドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」。
原子力発電所は現在世界に500以上あるとされています。たとえすべての原発を止めたとしてもゴミ(放射性廃棄物)が残ります。そして放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには、最低10万年を要すると考えられています。本作は、今この瞬間にも排出され蓄積される放射性廃棄物をいかに処理するのかを問いかけています。
現在、放射性廃棄物を安全に完全に処理する方法はありません(作中にも、理論上では可能でも危険を伴うため実現は不可能との説明があります)。世界中の国々では、原子力発電所から出される大量の高レベル放射性廃棄物が暫定的な集積所に蓄えられています。
フィンランドでは地層処分という方法が発案され、10万年の耐久性がある世界初の放射性廃棄物の地層処分場を造る「オンカロ(「隠された場所」の意)・プロジェクト」が進められています。固い岩盤を掘削し、地下500メートルに作られる地下都市のような巨大システムで、廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない、無人の地下都市で10万年間機械だけが稼動するそうです。
しかし、かりに施設が10万年間保持されたとして、それを未来の人たちが掘り起こさないと誰が保障できるでしょうか。10万年後の未来なんて誰にも予想できません。
映画では、この施設に対する専門家たちのさまざまな意見が飛び交います。議論の大半を占めていたのが、施設の危険性を、どのようにして未来の人々に確実に警告するのかという点でした。
私たちが古代の歴史に思いを馳せるように、未来の人々は21世紀の遺跡や歴史的資料がオンカロに秘められていると信じ、探求するかもしれません。また、現在より未来の文明が発展しているとも限りません。戦争や自然災害などで退化している可能性もあります。そうしたら原子力の危険性、ともすれば言語すらも理解できないかもしれません。
この施設の存在そのものを人々の記憶から抹消することが最適なのではないかと、議論は行き着きます。映画監督は「永遠に忘れることを忘れさせない」と語っていました。つまり語り継がれなくてはならないということ。そのためにはどんな手段があるというのでしょう。
専門家たちの議論を見ながら、途方もなさと恐ろしさを感じていました。原子力発電所を稼動している限り、放射能の恐怖は10万年、20万年と果てしなく続くのかと思うと、福島第1原発事故後になされてきた原発是非の論議すら不毛に思えます。今やるべきは原発是非の議論を越え、現在ある放射性廃棄物の処理方法と、原発に変わるエネルギーについて考えることだと映画を観て改めて感じました。
「100,000年後の安全」、渋谷アップリンクにて絶賛公開中です。(淑)