音楽舞踊劇 チェジュパラをみて
広告
昨日、「チェジュ★パラ」という音楽舞踊劇を観にいきました。
故郷の済州島が恋しくて、死後も故郷に帰りたいと願う1世の祖母と、
東京・荒川の三河島で生まれ済州島を知らない孫娘が、故郷探しをするというストーリー。
「ハルマニン(おばあちゃん)」の霊と、生きている孫娘の珍道中がなんともユニークでした。
会場となったのは、東京朝鮮第1初中級学校の近くにある、サンパール荒川。
サンパール荒川といえばそれこそ、東京第1の学校行事(卒業式や学芸会など)はじめ、
昔から荒川の同胞たちに親しまれてきた馴染みの場所です。
「チェジュパラ」の開催にはもってこいの場所だと思いました。
劇中、済州島のサトゥリ(訛り)が台詞として登場した時は、
会場がざわついていました。笑
済州島の言葉はご存知の方はいると思いますが本当に独特で、
かつてその言葉の飛び交う環境の中で育った同胞にとっては懐かしくてたまらないものというか、
強い同郷意識を生み出す大切なものだったんだと思います。
昨日は荒川の同胞たちがたくさん訪れていたことから、
久々に済州島訛りにふれた人も多かったのではないでしょうか。
私も、訛りが出た途端に劇がもっと身近に感じられました(ちなみに私の祖父や祖母の故郷も済州島ですので)。
劇で、済州島の海や菜の花畑の光景が舞踊で表現されていてとっても綺麗でした。
登場する済州島出身のおばあちゃんのように、
私にとってもそれらの景色がなつかしいものになれば素敵だな…と思い、
むしょうに済州島に行きたくなりました。
日本で生まれ育ち、普段は正直済州島のことを考える機会なんてありませんでしたが、
劇を見て、私にとって済州島はどういう場所なのかな、と自問していました。
主人公の女の子が「(済州島に)初めて来たはずなのに、なつかしい気持ちになる!!」と話していましたが、
まさに自分もそんな体験をしたいな、いやしなければ…と考えさせられました。
祖父や祖母たちが大切にしていたものなら、きっと私にとっても特別なものに違いないと、そこだけは確信できるからです。
劇を見たある在日2世の70代の女性は、
済州島出身のオモニが話していた済州島の訛りを思い出したと言っていました。
聞くとその言葉とは、病床にあったオモニが自分に最後に残した言葉だったらしく、
生涯忘れられない済州サトゥリとなったと、涙ながらに話してくれました。
私も気づけばぽろぽろと涙をこぼしていました。話が聞けてよかったです…。
忘れてはならない済州島の記憶を呼び起こしてくれたチェジュパラ公演に、感謝②です!
最後に、今でも在日は「コヒャン(故郷)どこ?」という会話をしますが、
これは本当にずっと残していきたい文化だと思います。
何代先になっても、自分のルーツは朝鮮半島にあるんだと感じられる。これはとてもロマンチック(?)なことではないでしょうか。(里)
コマッスンミダ★
ウルナ役の皮美瑛です!!
昨日は見に来てくださり、心から感謝の気持ちでいっぱいです!!自分自身、チェジュパラと出会った事をキッカケに、【自分のルーツ】をしっかりと胸に秘め、胸を張って生きていこうと、心に決めました。昨日は本当にコマッスンミダ!!
皮さまへ。
アンニョンハシムニカ!
昨日は素晴らしい舞台をありがとうございます。
1回きりの公演ということで、「もっとすればいいのに」と惜しむ声も聞こえてきました。
これからも頑張ってください!
Unknown
このブログのヒントになるかどうか知れませんが「ふるさとを想う」という詩を書きました。今脱稿したところです。読み流してください。
ふるさとを想う
オンニョ
30年前
父が この世を去った日
病室の 枕の下から出てきた 封筒の束
見舞客が置いていった 大切な封筒
一つ残さず 貯めていた アボジ
故郷で眠りたいと願ってた アボジ
封筒を手に 涙ながら オモニは云った
行かせてあげよう ふるさとに
どれほど帰りたかっただろう ふるさとに
親不孝者と 後ろ指さされながら
父を見送った時でさえ 分からなかった
魂になってまで 何故に故郷を探すのかと
歳月は流れ いつしか還暦がすぎ
孫を持つ年になり やっと気付いた
ふるさと想う アボジオモニの心の内を
住所さえ知るすべがなかった 私の出生地
心優しい人々が 真心で探してくれた生地を
この年になって 初めて訪ねた 夢のように
陣痛に耐えかねて やむなく母が降りた駅
身寄りもなく さまよっていた 私たちを
家族のように見守ってくれた 碇ヶ関の人々
消え入りそうな私の命を 燈してくれた地
たとえ 先祖代々の 墓はなくとも
私の故郷と 呼ばずにはいられぬ 碇ヶ関
見知らぬ土地なのに こみあげる懐かしさ
紫陽花眩しい三笠山 滔々と流れる平川
オモニの姿と重なりし 美しい山よ、川よ
昔も今もとめどなく流れる 白沢の水音が
母のせなで聞いた やさしい子守唄となり
私の胸を 恋しさに 震わせた
人生の出発点に立ち 私は心底思った
生まれ故郷、心の故郷、父母の故郷
その全てが 大切な我がふるさとだと
二度と二度と 奪われはしまい
代々 守りぬかねばならぬ 心の根よ
62年の歳月を経て 凛とこの地に立つ
8月29日
オンニョさまへ。
オンニョ先生は東北のほうにも懐かしい場所があるのですか?
素敵な詩をありがとうございます。
自分自身は故郷に何を重ねるのか…と、考えさせられました。