残暑の中、昨年からの暑さの中で
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9月も中旬だと言うのに、この二三日、本当に暑い。昨年に引き続き、今年の夏も暑かった。
今年の夏はいつもと違って九州、中国地方によく出かけた。取材のほとんどは、同胞の子どもたちのためのキャンプであったり、朝鮮学校の納涼祭や草刈であったり、子どもたちのために頑張るおじさん世代の活動であったり、休校になった朝鮮学校でのアートプロジェクトであったりと、朝鮮学校=民族教育に関することであった。
昨年の夏はうだるような暑さの中で、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対するいろんな動きを取材した。今年の夏の終わりに、大きな進展があったけれど、そもそもこんな問題が発生すること自体がおかしいんじゃないか、こんなに解決が長引くのはおかしいんじゃないか、とぶつぶつ思いながら、さらに、適用審査再開に猛反発する日本社会の少なくない世論や大手マスコミ、与野党の政治家、もろもろの団体に対して沸き起る猛烈な怒りをどうすればいいのかと、戸惑うのである。
在日同胞たちは、朝鮮学校を守り同胞の子どもたちに民族教育を施すために、この夏、炎天下の中で学校に生えた雑草を黙々と刈り、キムチを売り、屋台を出し、仕事を休んでキャンプのスタッフとして働き…といろんなことをやってきた。
自分たちが守らないと誰も守ってくれないからだ。朝鮮学校がなくなれば、在日同胞社会もなくなってしまうということがわかっているから。だから、誰かに強制されるのではなく自分たちの信念に基づいて、付け加えると、非常に楽しそうに行動している。
今までも、そのような光景は見てきたが、この間の「高校無償化」を巡る日本社会の状況の中で、同胞たちの朝鮮学校を守ろうとする動きが、また新たな新鮮さを持って目に飛び込んできた。1世たちがそうしたように、新たに朝鮮学校を作り上げようという思いを持った3世たちが具体的に行動し始めたという感じがある。
個々人として、朝鮮学校や在日朝鮮人を支援し自分の問題として取り組む日本の方々は多いけれど、朝鮮学校を自分たちの力で守らなければという今の比較的若い世代の同胞たちの思いや実際の行動は、日本社会に対する諦めというか苛立ちの、裏返しの一つではないのかという気がしないでもない。
まあ、一番苛立っているのは、朝鮮学校を支援している日本の方々だと思うのだが。(k)