17年ぶりのウリハッキョ①チョソンサラムチャッキ
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「オンマ、朝鮮人ってどうやったら探せるの?」
初夏のある日、ハッキョ(学校)から帰ってきた息子から聞かれた。おもしろいことを聞くなぁと思いつつ、「これって在日朝鮮人にとって長い命題なんだよ」と6歳の問いにしばし考え込んでしまった。息子は「이름이 뮈니(お名前なぁに)って聞けばいいの?」とハッキョで習ったばかりの慣用句を無邪気に話す。心の中で私は叫ぶ。(ウリマル(朝鮮語)」を知らないチョソンサラム(朝鮮人)もいるから、それは適切ではないかもね。けれど君のように無邪気にみんなに聞けて答えられたらどんなにいいだろう)
この問いは、色んなことを思い起こさせてくれた。
これは彼自身が置かれた環境を物語っている。学校から帰ってきて遊ぶ公園や児童館にコリアンはいない。少しずつ、自分が少数者だと気づき始めている、そんな気がした。
エラのはった、目の細い…、どこからどう見ても、この人はコリアン!という方は時々いらっしゃる(笑)。けれど多くの場合、名前を名乗らない限り、私たちは日本人と同じように見られる。
同じように見られても、私たちは違う。日本に渡ってきた歴史、日本社会へのまなざし…。それはいろーんな日本人がいるのと同じように。
チマチョゴリ制服を着て学校に通っていた20数年前、この制服の賛否が同胞社会に大きく渦巻いたことがあった。朝鮮を取り巻く国内外の政治の振り子が揺れるたびにチマチョゴリを着た朝鮮学校の女生徒が首を絞められたり、制服が切り裂かれる事件が起き、同胞社会ではわが子を案じる保護者を中心に緊張が走った。
大小の場で保護者たちが話し合いを続けるなか、近所の知り合いが「私たちはアフリカ人のように日本人と見分けがつかない。何か象徴が必要なのでは」と話されていたことを覚えている。
身を守るためには着ない方がいい。けれど、その保護者の問いは今でも続く。チョゴリに替わるものは何? 私たちのルーツを確認する器、プライドって?
今、コリアンの多くは日本名で暮らしている。日本人と結婚して日本国籍を取る方も多い。そしてそのカップルから生まれる子どもの多くは日本国籍を取得し、日本名を名乗る。数年前に「30代のコリアン」をテーマにルポを書いたとき、日本の女性との結婚を機に日本国籍を取ったが、家族の姓はすべて民族名にした、と話す男性がいた。「この選択が合っているのかまだ自信がない」と話しておられたが、その姿からは彼が振り絞ったひとつの答えの重みがひしひしと伝わってきた。
血縁、言葉、名前、文化、国籍…。
コリアン社会全体を見渡したとき、日本の植民地支配によって、ここに暮らすようになった私たちと、日本人との「違い」は、朝鮮半島にルーツを持つ「記憶」になっていくと思っている。この記憶を持つ人たちはどうつながっていけるのか。見た目でわからないなら気持ちでつながっていくしかない。私の名前は…と自己紹介できるように。
※ ※
今春から私はウリハッキョ(朝鮮学校)の保護者になり、17年前に卒業したウリハッキョを追体験している。毎日の宿題、放課後の遊び…家に帰ってきて飛び出るウリマルやハッキョの様子はとっても新鮮で、私は民族教育を新たに吸収している。春からの日々を何度かに渡って綴っていきたい。(瑛)
Unknown
何度も何度も読み返しました。
それは2年前の事でした。
私の勤めるスーパーに制服を着たバイトの学生さんが入って来ます。
私は一瞬制服は着替えてくればいいのにと思いました。
着替える時間がないのではありません。
私はそれから何日も経って制服姿を理解できました。
やはり、色眼鏡で見ていたのかも知れません。
半年が経ちました。
レジーで働く学生さんには多くの日本人のお客さんばかりです。
明るさと笑顔で正社員も見習うくらいに成長しました。
何が辛く、何が苦しかったか私にはわかりません。
ただ自分の仕事として取り組み誰に褒められるでもなく、
一生懸命頑張る姿に制服の姿を教えられました。
今私は退職していますが、素晴らしい接客に大きな元気をもらい、
スーパーは1円でも安くではない事に気付いています。
学生さんにはこれからの人生を強く強く生きていって欲しいと思っています。
お久しぶりです!
保育園、幼稚園からウリハッキョに入ったらみんながぶつかりますよね。
お子さん一年生になられたんですね!
毎日お弁当作り、宿題見たりと忙しいと思いますが頑張ってくださいね。
瑛さんの笑顔に癒されたいです(*^_^*)
LEEさん!
本当にお久しぶりですね。
コメント、うれしく読ませていただきました。
学校のお仕事で忙殺されているのではないかと心配しています。
また料理の企画でご一緒したいです。
どうぞお元気で!(瑛)