あー、放射能
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3・11後、とくに幼い子どもを抱える方々は、水問題に苦労されているのではないだろうか。
東京都金町の浄水場から放射性ヨウ素が検出されたのは、今年3月24日。このニュースに乳飲み子を抱えていた私は動転した。地方に出かけていた母に水の購入を頼み、これからどうしようかと考えあぐねていた翌日、三重県に暮らす叔父から100本のミネラルウォーターが届いた。スーパーや量販店を20件も回ってくれたという。
韓国産にフランス産…。報道が流れた日から米を研ぐのも、野菜を洗うのも。。。と日課をこなしていきながら、これは「水問題」ではないことに遅まきながら気づいた。
遠くへ、遠くへ避難するしかない。
関東大震災から88年過ぎた今、東京には間違いなく、大きな地震が来る。
家族と遠方へ住まいを移すことも真剣に話しあったが、ここに留まることに決めた。
洗濯物を野外に干すかどうか、野菜や米をどう調理するか、水をどう調達しているのか―。 その頃、近くに暮らす友人とは、顔を見ては胸いっぱいの不安を止めどもなく話しながら、放射能をどう避けられるかを探っていた。読者の皆さんも、水や米を買いあさる人たちでごった返し、殺気だっていたスーパーの光景を記憶されていることだろう。
社会全体が初めて放射能の脅威にぶち当たっていたとき、隣に住む初老の夫婦は、近くで水を買ってきたから何本か分けようかと声をかけてくれ、関西出身のオンマは大阪のご両親から水が届いたから分けようかとメールしてくれた。隣人の心遣いに、どんよりとした気持ちが少しずつ晴れていったことをよく覚えている。
一番怖かったのは内部被爆だった。
政府やマスコミの「ただちに健康に影響はありません」という説明に納得できるはずはなく、チェルノブイリで被爆した子どもたちが20年後にどうなっていったのかを報じた本やドキュメントを見て「最悪の事態」を知ることから始めた。わが子には、自分が食したものはそのまま移っていく。ガマンできることはしよう。
震災から2ヵ月後に、原子力発電所で35年間勤めていたという技術者の講演会を聞きに行った時は、原発や放射能について無知で無防備だった自分にあぜんとし、あきれた。
一方収穫も大きかった。自分が信頼できる人とのコミュニケーションを通じて、情報を精査していこうという氏の言葉に情報に接する姿勢を学び、猛暑の中でも冷暖房は一切使わず、公共放送との契約を切ってからはテレビも見ない生活を送っているという話には、自分の消費生活を省みる思いだった。また、アメリカで出版され、日本人医師によって翻訳された「死にいたる虚構 ―国家による低線量放射線の隠蔽―」という本の存在も、この勉強会に出向かなければ知りえなかったことだった。氏は低線量被爆による危険性について書かれたこの本を通じて「感覚的な恐怖心の確証を得た」という。
放射性物質は今も流れ続けている。読者の皆さんは放射能被害の日常をどう生きていますか?(瑛)
放射能
チェルノブイリが、広島の原爆の500発以上と言いますが、ビキニ環礁ではその数倍。
同じ大気圏内で、しかも海の上で…。
今更…って思った方がいいのかな?って思います。
旧ソ連でも、発表しない原爆事故があるはず。
話は変わりますが、来月豊橋で『ピョンヤン・被ばく・フクシマ』という講演会に行きます!!
広島で被ばくして内部被曝した、ピョンヤン在住の女性の方の話をされるそうです。
ピアニストの、キム・ジョンスクさんのピアノ演奏があり、朝鮮民謡のトラジやアリラン、日本民謡の七つの子を演奏します。