いい歌がない―「歌姫クロニクル―Re-membering―」を観て
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先週の金曜日、新宿のタイニイアリスという小屋に劇団アランサムセの2011年度公演「歌姫クロニクル―Re-membering―」を観にいきました。上演が決まったことを知った時から、観る日を楽しみにしてきました。
なぜかというと、月刊イオの2008年9月号から12月号まで、「歌姫クロニクル」という小説を連載したのですが、「歌姫クロニクル―Re-membering―」は、その連載小説の10年後を描いたもので、月刊イオと非常に因縁のある作品だからです。劇の脚本を担当したのも、小説の作者の李英哲さんでした。
小説も劇も、「歌うことの意味」を大きなテーマにしています。
作品そのものに関しては、某新聞に演劇評を書くのでここでは触れません。劇を観て、「歌」に関連しいろんなことを考えたので、そのことを書きたいと思います。
その一つが、「最近、いい歌がないなぁ」ということです。たぶん、ここ20年くらい。日本や欧米のヒット曲を聞いても、これっぽっちもいいと思わない。在日社会にも、南にも北にもいい歌が出てきていない。
若いときの感受性溢れる時期に聞いた曲は良く聴こえるのだ、ということもないわけではないでしょうが、そうではないと思います。
歌は時代や社会を反映するものだと思います。いかに活気に溢れているのか、躍動しているのか。ぐつぐつと沸き立っている時代や社会からは素晴らしい歌(歌だけではないでしょうが)が生み出されるのだと思います。
例えば、在日朝鮮人社会。70年代くらいまでの歌と今の歌を比べてみるとどうでしょう。比べてみると書きましたが、果たして今、在日朝鮮人社会で歌がうたわれているのでしょうか? この劇が訴えているものの一つがこれです。
いま私が在日朝鮮人社会のなかで一番耳にする曲は、許南麒の詩「子どもたちよ、これがウリハッキョだ」を元に作られた曲です。最近作られたもので、在日朝鮮人社会に根付いている曲があるのでしょうか? 私が知らないだけで、若い世代に支持されている曲があるのでしょうか?
たまにモノクロの昔の在日朝鮮人運動を記録した映像を見ることがあります。例えば、弾圧に反対し権利を守るための集会やデモ行進の映像。そこに写っている同胞たちがスローガンを叫ぶ姿や、シュプレヒコールに合わせて拳を突き上げる姿と、現在の集会やデモ行進のそれと比べてみます。歴然とした違いがあります。それは昔の歌と今の歌の違いそのものなのだと、ずっと感じてきました。
作者は「歌姫クロニクル―Re-membering―」について「このドラマは、歌うことを封じられた者たちと、あらかじめ声も歌も奪われている少女たちの話だ」(公演パンフレット)と書いています。
いまの若い在日朝鮮人がうたう歌をもたないのなら、それは彼・彼女らの責任ではなく、その上の世代の責任だと、劇を観ながら胸を痛めていました。(k)
イムジン河が好きです
おはようございます。
俺は、フォークル世代ではないですが、イムジン河を初めて聞いた時、とても素敵なメロディーだと感じ思いました。
今は、もうあのような歌は生まれないのかな?って思います。
英語で歌ったイムジン河も好きです。
たけちゃんさんへ
いつも、コメントありがとうございます。
私も「イムジン河」は大好きな曲です。世代的にもフォークルは大好きでした。
ああいうグループはもう現れないでしょうね。