17年ぶりのウリハッキョ④ぎこちないオッケチュム
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10月は日本各地のハッキョでバザーが開かれ、保護者の方々は忙しい毎日をお過ごしだったと思う。地元でも、コリアフェスタと銘打たれたバザーが開かれ、折り込み広告の効果もあって近所の人たちで賑わった。
近年、バザーでは地域の人たちに朝鮮学校の姿を知ってもらうため、子どもたちが歌や踊りを披露してくれ、これが保護者や近隣の人たちの楽しみになっている。
低学年の児童たちは、首元に黄色い蝶ネクタイを結んだおめかし姿で登場。朝鮮の歌を2曲披露してくれた。歌をうたう姿は懸命そのものなのだが、間奏でオッケチュムを踊る場面があり、あまりのぎこちなさに思わず吹き出してしまった。
笑うことなかれ、オッケチュムは奥が深いのだ。私も朝鮮舞踊を習っていた学生時代、先輩にチャンダンのつかみ方がなっていないと叱られ、運動場で裸足になり、素足で地べたを踏みながらオッケチュムの修行をしたことがある。味のあるオッケチュムは一朝一夕では身につかない。
日本の保育園では当然のことだが、日本の童謡は教えても朝鮮の童謡や民謡を習うことはない。太鼓を叩くことがあってもチャンゴが登場することもない。このことがなんとなく寂しく、ハッキョに入る前は、幼い頃、母親が自分にしてくれていたように、お風呂で朝鮮の歌をうたってみたり、朝鮮語で数字を数えたりもした。けれど、子どもたちはピンと来ていないようだった。
朝鮮のリズム―チャンダンには言いようのない味わいがある。それは、チャンダンが朝鮮半島の長い歴史の中で、市井の人々の喜びや悲しみをのせてきたからだろうし、タヒャンサリ(異郷暮らし)を余儀なくされた1世が悲しみや苦しみをぶつけ、集まればチャンゴの調べに身をゆだねてきた、コリアンにとって特別のリズムだからだと思う。今でも1世のハルモニが民謡に合わせて楽しく踊る姿を見ると、それだけで幸せな気持ちになる。
朝鮮学校の初級部1年の「音楽」の教科書には、朝鮮半島で伝えられきた民謡、日本に生まれ育った子どもたちの感性に合わせた同胞オリジナルの楽曲、海外の音楽家が作った歌も載せられている。「선생님 선생님 안녕하세요(先生 先生 アンニョンハセヨ)」で始まるあいさつの歌や、数を数えながら遊ぶ「하나 둘 셋(いち にさん)」は、そのまま朝鮮語を学ぶ教材の役割も兼ねているだろう。中年の保護者には懐かしい「산딸기(山イチゴ)」もあるし、ロシアの音楽家・リムスキー・コルサコフ(1844~1908)の「熊蜂の飛行」も鑑賞する。
いつかオハコの朝鮮民謡を歌えるようになればいいなぁ。
持ち歌のなさに赤面した経験を持つ私は、わが子のぎこちないオッケチュムにもこんな夢を描いたのだった。(瑛)