在日ブラジル人をたずねて
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今年最後のイオ12月号では、在日外国人たちのビジネス活動を紹介します。
私は今回、在日ブラジル人を取材してきました。
イオ編集部に入って2年目の頃、在日するインドシナ難民の方たちとその周辺の日本人を取材したことはありましたが、
在日コリアン以外の在日外国人を取材する機会は普段はあまりないため、
そういった意味では新鮮な取材となりました。
在日ブラジル人の多くは、日本にルーツを持つ日系ブラジル人。
その背景には、日本の企業の労働力不足を解消するために施行された、改正入管難民法(1990年施行)がありました。
この法律によって日系人は3世まで日本に定住して働けるようになり、出稼ぎ労働者が急増しました。
日系人の配偶者や子どもたちも来日できるようになり、家族単位で日本に住むようになるケースが多いそうです。
しかし2008年の金融危機以降、企業の派遣切りなどに遭うなどして困窮する人たちが多くいました。
今回の取材で人選などに協力いただいたのは、岐阜県可児市国際交流協会の方たち。
東海地方に在日ブラジル人の大半が在留していますが、岐阜県にも多く、中でも可児市には県内で一番ブラジル人が多く暮らしています。
国際交流協会の方たちは事前に取材候補者の方たちを挙げてくれて、連絡をとってくれました。
ドキドキしながら返答を待っていたところ、意外にもあっさり「みんないいって言ってくれてますよ~」とのこと。
ひと安心しながら、「いついつ伺います」とだけ伝えて、岐阜に向かいました。
可児駅に着いて国際交流協会の方に電話をしたところ、「農業やってる方がちょうど来てくれたましたよ~」ということで、
着いたその場から取材がスタート(笑)。
それだけでなく、農業をされているMさんの運転する車で、可児市内で商売を営む他のブラジル人を紹介してもらえることになりました。
このMさん(女性)と、一番長い時間をともにすごすことになったのですが、すごく素直でチャーミングな方で、
話しやすかったです。何より、(今回取材したブラジル人全員そうでしたが)とっても親切にしていただきました。
「お腹空いたでしょ?空いたよね。お昼食べましょう」と、ブラジル料理をバイキング形式でいただけるレストランに入りました。
横はスーパーマーケットになっています。赤くてポップな建物が可愛いです。
私はブラジル料理は初めてでした。Mさんが手馴れたようすでパッパッとお皿に盛っていくのを目で追いながら、
自分なりに食べたいものを皿に盛りました。
皿の重さをはかってお会計。私は1000円弱でした。(少し割高?食べすぎ?笑)
Mさんが一つひとつの料理の説明をしてくれて、楽しく食べることができました。
私が気に入ったのはご飯の上にかかっている豆の煮物「フェジョン」。ニンニクの風味が利いていて、とてもおいしかったです。
ご飯のおかずにぴったりって感じで、これを毎日食べたら健康でいられそうです。
赤いカブの酢漬けも、柔らかい食感でおいしかったです。
車に乗って、次は在日ブラジル人が営む美容室へ。そこでの取材を済ませた後、美容室の横にあるブラジル料理のお店に入りました。
そこでまた、おやつに「パステル」というお菓子を食べました。
横幅は17~18cmくらいあったんじゃないでしょうか、かなりボリューミーな見た目。
しかし、揚げたてサックサクのパイ生地の中は案外空洞で、気づいたらぺろりと食べてしまっていました。
とろりとした練乳クリームみたいなソースが入っていて、それがまた美味でした。
本来のパステルは、ひき肉やチーズが入っているものが主流だそうで、今度はそっちも食べてみたいです。
値段も大きさの割りに250円と安めでした。
次に、Mさんの畑をめざしました。車の中でMさんは、いろんな話をしてくれました。
ブラジルでは暮らしていけずに、日本に出稼ぎにやってきたこと、
日本に来てからは東京・品川で4年間家政婦の仕事をし、可児に移って車関連の会社の工場で働いてきたこと、
そして2年前、会社の景気が悪く、勤務時間が大幅に短縮されるなど処遇が悪化したため自ら会社を辞めて農業を始めたこと…など。
昨年末から今年3月までの約4ヵ月間、Mさんはお母さんが危篤状態になったため
急きょブラジルに帰って生活していたといいます。
その間、畑は夫に任せていたそうです。しかしお母さんは今年に入って亡くなりました。
お父さんが1人きりになってしまったため、Mさんは来年いっぱいでブラジルに引き揚げ、
お父さんの面倒を見ようかと考えているそうです。
畑に着くと、Mさんはいろんな野菜を見せてくれました。
野菜を一つひとつ見ながら、「かわいい。ね?かわいいでしょ」とうれしそうに話すMさん。
「かわいい」という形容詞は少々おもしろいな、と感じましたが、
丹精こめて野菜を育てているMさんならではの表現なんだろうな、と温かい気持ちになりました。
Mさんのおじいちゃん、おばあちゃんは九州の人でブラジルに移り、農業で貢献をされた方たちだったといいます。
6人ほどから話を聞くことがでいた今回の取材の中で感じたことは、
在日ブラジル人の方たちが、ほかの在日外国人についてあまり知らない、知りたがっているのかな、ということです。
私は取材中、「金さんは『日系』ですか?」「在日コリアンも日本人から差別されることはあるのですか?」などいろんな質問を受けました。
話をしながら私も、在日コリアンと在日ブラジル人同士、互いに共感し合えることがらはたくさんあるだろうな、と思い、一緒に力を合わせていけることがあればいいな、と思いました。
あと、これはすべての在日外国人にあてはまることだと思いますが、本当に新しいアイデアに富んでいるなと思いました。
ブラジルスーパーを営むOさんは私に、
「(新大久保などにある)韓国のスーパーには、韓国のものしか置いてないのですか?」と聞いてきました。
Oさんのスーパーにはブラジルの商品以外にも、フィリピン、ペルーの商品も置いています。
多分、需要があるなら、自店の扱う商品を他の店にも置こうと考えたのでしょう。
「ビジネスの隙間あらば」という、攻めの姿勢をありありと感じました。目のつけどころを見習いたいなと思いました。(里)