2011年、年の瀬に
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正直なところ、今日のブログに何を書こうか二三日逡巡していました。まったくほかの話題を書くこともできましたが、どうにも触れずに過ぎることはできないので、少しだけ書きたいと思います。
19日正午、あまりに突然の金正日総書記の訃報でした。
複雑な感情が渦巻く中でも、総書記の逝去を日本のメディアが面白おかしく取り上げ、好き勝手書き立てるだろうと、容易に予想ができたので、その日は一度もテレビをつけずに過ごしました。
一夜明け、毎度のことではありますが、常軌を逸した侮辱的報道がおびただしく流れていました。
追悼の意を示すより早く、緊急厳戒態勢を整える日米韓。メディアは総書記の逝去を、水を得た魚のようにこぞって取り上げ、「北朝鮮」の「悪魔化」に励み、指導者の悲報に涙する人民を、「やらせ」「嘘泣き」と馬鹿にしました。亡くなった方に弔意を表すことは人として最低限の礼儀でありこそすれ、馬鹿にするなど、完全に常識の枠を超えています。この国では静かに故人を悼むことすらままならないのか。
この間、少なからず同胞の中からも、耳に入れたくない悲しい言葉を聞きました。一貫して朝鮮を一国家として認めようとしない日本政府、日本社会にはびこる意図的で偏狭的な「北朝鮮」報道により、在日同胞たちが幾重にも分断されてしまっている。連日のくだらない報道よりも、そのことがもっと深く胸に突き刺さります。
朝鮮の歌を一つ紹介します。
<장군님 찬 눈길 걷지 마시라>、人民のため激務に励む総書記に対する想いを、総書記が険しい雪道を行く姿になぞらえてうたった歌で、朝鮮人民に広く歌われている歌の一つです。(タイトルをクリックしたら聴けます)
눈오는 이 아침 우리 장군님
그 어데 찾아가십니까
찬 눈을 맞으며 가시는 길에
이 마음 따라섭니다
이 땅의 눈비는 우리가 다 맞으리니
장군님 장군님 찬눈길 걷지 마시라
우리를 잘 살게 하여주시려
수령님 한생 맞으신 눈
오늘은 장군님 혜쳐가시니
이 가슴 젖어옵니다
충효를 다하여 맡은 일 더 잘하리니
장군님 장군님 눈바람 맞지 마시라
장군님 찬 눈비 맞으시면서
험한 길 더는 걷지 않게
날마다 기쁨을 드리는 길에
이 한몸 바치렵니다
우러러 바라는 간절한 소원입니다
장군님 장군님 부디 안녕하시라
こういった朝鮮の曲にあまり馴染みのない方からすると、歌詞の内容に驚かれるかもしれません。しかしこの曲が朝鮮人民に愛されるわけは、この曲の美しい旋律のためだけではありません。そしてこのような歌が心から愛されているのも、嘘ではない、ありのままの朝鮮の姿なのです。今朝鮮で流れている涙に、ほんの少しでも想いをいたすことができたならば、それを想像できるような事実に基づいた客観的な報道がなされていたならば、あの涙が「やらせ」だなんて誰も信じなかったと思います。
2011年も残すところあとわずか。今年は、3.11東日本大震災、そして総書記の悲報と、多くの人の記憶に刻まれるであろう、忘れがたい1年となりました。私個人としても、4年間勤めた職場からイオ編集部に配属になり、新たな一歩を踏み出した年でした。記者として初めて訪れた取材地は、被災地・宮城でした。そして2011年、最後の取材は、29日に東京朝鮮文化会館で行われる総書記の追悼式となりそうです。
期待に胸を膨らませ待ち望んだ2012年がもうすぐ明けようとしています。予期せぬ出来事に、また別の意味で2012年が、朝鮮半島にとって、在日同胞社会にとって、重要な1年になるだろうと、切々と感じている2011年の年の瀬です。(淑)
Unknown
逝去後、私もこの歌を一番よく思い出しています。
気持ちを分かち合いにくい世の中で、このブログに出会えたことに救われる思いです。
chanさんへ
chanさん、ブログを読み、メッセージをくださりありがとうございます。
異なる価値観に対する無理解ゆえに、多くの同胞が心を痛めていると思います。
chanさんのメッセージにかえって私自身が力をもらいました。