震災から10ヵ月
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昨日の昼、会社の事務所が入るビルの最上階(13階)にある食堂で昼食をとっていた時のこと。私のものも含め、複数の携帯電話から一斉に「ピピピッー」というアラーム音が鳴りました。
緊急地震速報。表示を見ると、「茨城県沖で大きな地震を観測、強い揺れに注意してください」の文字が。ややあって、自分でも体感できる振動が訪れました。それはしばらく続き、低層階に比べて左右の揺れ幅が大きいように感じました。
元旦にも結構大きめの地震がありましたね。最近では珍しいことではないので、地震に対する耐性はだいぶついたのですが、それでも怖いものです、自分の拠って立つ足場が地面ごとぐらぐらと揺れるのは。
あの昨年3月の東日本大震災から10ヵ月が経ちました。2日前が11日だったのですが、近頃では、震災から今日で○○ヵ月という回顧が単なる儀礼的なものになってしまっていることは否めません。
しかし、あと2ヵ月後には震災発生から1年を迎えます。これを機に、イオでもまとまった形で「3・11」を振り返り、被災地同胞たちの今を伝える企画を準備しています。
昨日、上述の地震に遭遇するまさにその直前まで、震災関連企画をどう準備するか編集部で会議が行われていました。限られた誌面の中で何をどう伝えるか。すんなりとはまとまらず、さまざまな意見が出ました。震災から2ヵ月くらいまでは、とりあえず現場に行って、被災状況や支援活動など今目の前で起こっている出来事を伝えることが必要だったのですが、一年近く経った今はもちろん状況が違いますし、伝えるべき情報も変化してます。
そう遠くない時期に、被災地を回って取材を行う予定です。
人はすべてのことを完全に記憶することも忘却することもできません。これはもちろん、人が生きていくために必要な機制であると思います。しかし、メディアが不完全な形ではありますが、出来事を記録し、証言を集め、人びとに伝えることで、たとえば世論を喚起し息の長い支援に結びつけたり、被災者たちが震災による苦難や辛い記憶を(決して忘れることはできないでしょうが)乗り越えていく手助けを少しでもできるのではないか。
難しい問題です。同じようなことを昨年からこのブログでも書いていますが、恥ずかしいことにいまだ自分の考えが定まりません。他人の人生の中にずかずかと入り込んでは根掘り葉掘り話を聞きだして、さっと去っていく、記者というのは「やくざ」な職業だな、と常々感じています(これは自分を卑下して言っているのでは決してありませんが)。そういう自らの「加害性」を認識したうえで、それでもできることを追求していきたいと思っています。
あ、最後は震災とはあまり関係ない話になってしまいました。(相)