丹念に相手の心と向き合う
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いつも自分は取材を「する」立場ですが、
ふと、「取材される」立場だったらどうなんだろう、と考えることが最近増えました。
というのも最近行なった取材で、「人の本音を引き出すのはそう簡単ではないな」と感じたからです。
私はこの前、東日本大震災後、ふるさとを離れ今も避難生活を送る夫婦に会って、
これまでの暮らしはどうだったか、そしてこれからのことをどう考えているのか、など、
現在の彼らの心情を取材しました。
普段の取材とは違って、少し緊張しながら話を始めました。
取材をどうするか、という緊張ももちろんありますが、それよりも、
いろいろと「失礼」がないようにしなければ…と、気を張っていたのかもしれません。
初対面の場で、「被災」という重く辛い体験について語ってもらう訳なので、
まずどういった質問からすべきなのか、いや、質問よりも相手がしゃべるままにお話を聞くのが先じゃないか?など、
行きの電車の中からぐるぐると考えていたのです。
ただ、必要な話を聞いて終わり…というような、形式的な時間にはしたくはありませんでした。
取材した夫婦は震災から約1年が経とうとしている現在、生活はだいぶ落ち着いたと話していました。
笑顔が素敵な夫婦で、一瞬、避難生活を強いられているという現実を忘れてしまうほど、気丈に話をしてくれました。
その後、ファミリーレストランで食事をしようと、私を外に連れていってくれました。
そこでの席で雑談を交わす中でふと、妻のMさんがつぶやいた言葉に、はっとさせられました。
「ここ1年、大声で笑ったことないなぁ。なーんか一緒に笑い合う友だちもいないから…」
何時間かを共にする中で、たまたま聞けた言葉だと思います。
ただ、その一言から汲み取れる心情は、本当に根深いものだと感じ、思わずノートを再び取り出してメモをとりました。
同時に、ほんの数時間で今の夫婦の心情を取材しようとしたことを、少しだけ恥ずかしく思いました(もちろん、仕事にはすべて時間的制約が当たり前のようにあるのでしょうがないことなのですが)。
丹念に取材する、というか、「丹念に人の心と向き合う」ことが大切だな、と感じたのでした。
取材したことによって、相手の苦悩をすべて知れる訳ではない、
そして、取材で伝えられることは、断片的なものでしかないということを十分に自覚して、
それでも伝えられるだけのことを、ちゃんと、誠実に、伝えなければと思います。(里)