祖父の想い
広告
今日は祖父の13回忌です。
祖父がなくなって12年、祖父は私にとっては常にやさしく、頼もしく、 本当に尊敬していた、
そしていまも変わらず尊敬しているハルべです。
祖父の13回忌を迎えるにあたって、祖父の過去を改めて振り返ってみようと、
遺してくれた自叙伝をもう一度開いてみました。
祖父は南に故郷がありましたが、朝鮮民主主義人民共和国を支持し、 恋しかった故郷にもいけず、
ただ祖国統一の実現を夢見て、 祖国のため、同胞のため、朝鮮学校のために、精力的に活動しました。
自叙伝で祖父は、綴っています。
自分がこの道を選んだのは、あの当時の時代が要求し、民族的良心がその道を歩ませたのだと。
祖父は祖国を失った民がどれだけ貧しく、みずぼらしいものなのか、その本にも書かれていました。
そして植民地朝鮮はついに終わり、国がやっと朝鮮民族のもとに。
その時の嬉しさはどんなに喜ばしいものだったか―
しかし、解放を迎えた南の地は米軍の手によって植民地時代よりも、より酷い状況に。
そして、2つに分断された朝鮮。
祖父は故郷に背をむけ、捨てたことは一度もないと、
故郷がずっと忘れられず、恋しく思ったとして、国の分裂に加担し、売国・背族するようなことはできなかった。
そう綴られていました。
その部分を読み、2000年6.15共同宣言の喜ばしいニュースを聞かずして、 亡くなってしまった、
祖父への想いに涙がとまりませんでした。
1世たちは朝鮮民族がより良く暮らせる時代を求め、そのために 朝鮮学校も建設し、
朝鮮民族が朝鮮民族として堂々と暮らせる道を求め続けたのではいかと思います。
祖父は自叙伝でこうも遺しています。
내 고향 경주
마음의 고향 평양
내 소원 통일조선
私の故郷 慶州
心の故郷 平壌
私の願いは統一朝鮮
自分個人のためだけを思うのではなく、
「民族的良心」を持ち、あれほど焦がれた故郷にも帰れず、 ただ祖国統一の実現と祖国繁栄のために闘い、
その願いを叶わずして亡くなった1世がどれだけいるのか。
私たちは決して忘れてはいけないと、そして私たちが祖父の想い、1世の想いを
受け継いでいかなくてはと、また一度、強く思いました。(愛)
米軍・・・
私は韓国しか行ったことがありませんが、米軍政を経て独立した韓国、今では本当に良い国ですよ。
食べ物も美味しいし、人情味もあるし。
一度行ってみたらどうですか?
植民地時代までは北も南も別れてなかった一つの祖国だったんですから…。
Unknown
(金元淳)さん、コメントありがとうございます。
私の父母は6.15共同宣言の後、総聯同胞故郷訪問団として亡き祖父の代わりに故郷へ行くことができました。皆、故郷の親戚は温かく迎えてくれたそうです。
私も一度だけソウルには行けましたが、李明博政権になり、再度訪れることが難しいです。
私自身、祖父の故郷にいつか訪れることが夢です。