「ウリハッキョ」のためにできること
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つい先日まで近畿、中国地方を取材で回った。
地域の「ウリハッキョ」(朝鮮学校)も何校か訪れた。学校で行事などがあれば、児童・生徒、教員、保護者、そして地域の同胞たちとも会えるので、そのたびに新たな発見があって楽しい。
今回、取材の過程で改めて感じたことがある。それは、今の時代、朝鮮学校に子どもを送ることは決して「当たり前」ではない、ということだ。純粋に、子どもを朝鮮学校に通わせている家庭の割合で見れば、それは「超レア」な決断なのだ。
子どもをウリハッキョに送らないということは、親の教育方針という理由以外にも、学費など財政的な問題、学校が距離的に遠いといった環境的な問題などさまざまな理由があると思われる。朝鮮学校に対する理解の不足や、日本社会で流布されている朝鮮学校に対する負のイメージが影響していることもある。これらの要因が単独で、あるいは複合的に作用して、「通わせない」という決断が下されるのではないだろうか。
私自身は、将来自分の子どもには朝鮮学校で教育を受けさせたいと思っている。それが「当然」と思ってきたし、その考えは今も変わらない(現在、独身の私だが)。ただ、これはあくまでも私の考えであり、これを「当然のこと」と自明視し、そのようにしなかった(あるいは、できなかった)さまざまな境遇下にある人たちをただなじるだけでは問題の解決にはならないとも思っている。今の時代、何の迷いや懸念材料もなしに子どもを朝鮮学校に送ることを即断即決できる家庭など少数派だろう。
数日前、大学時代の同級生が、日本学校に通わせていた自分の子どもを来年度から地元の朝鮮学校に編入させることにした、という知らせを聞いた。今回の決断に至るまで、さまざまな葛藤があったことは想像に難くない。日本学校に送る決断をした時もたくさん悩んだのだろうな、と個人的には思う。
だからこそ、私はさまざまな厳しい環境の中でも子どもをウリハッキョに通わせている保護者の同胞たちに接するたび、心底晴れ晴れした気持ちになる。そして、保護者が「送ってよかった」と思えるような教育、子どもたちが「通ってよかった」と実感できるような学校、新たに一人でも多くの子どもたちが「通いたい」と思えるような学びの場を作るために日夜奮闘する現場の教職員たちの姿を見るたびに頭が下がる。
一人でも多くの保護者たちに子どもを朝鮮学校に送ってもらえるよう、周囲ができること、すべきことはまだまだあると思う。例えばそれは財政の問題や学校の設備など、親が子をウリハッキョに通わせるためのハードルを一つでも下げることであり、ウリハッキョの良さをもっと知らせることであり、日本政府の朝鮮学校政策を正すことであり、社会に流布する朝鮮学校に対する誤ったイメージを解体すること、などだ。
あるがままの朝鮮学校を認めようとしない日本政府と社会のあり方はやはりおかしい。過去に何べんも同じようなことを書いてきたが、この場で改めて指摘しておきたい。そしてこれは、朝鮮学校が抱える諸問題を当事者が解決し、より良く変えていくということとは別問題である、ということも強調しておきたい。
親になったこともない人間の言いたい放題。内容に対する批判は甘んじて受けます。(相)