東日本大震災1年を前にして
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まもなく、東日本大震災から1年を迎えます。
もう1年、それとも、まだ1年―。感じ方は人それぞれだろうと思います。
私個人としては、あの日からもう1年が経ったのか、という思いが正直なところです。一方で、あのような未曾有の巨大複合災害がこの地にもたらしたインパクトを考えるとき、あの震災を過去の出来事として振り返るには1年という時間はあまりにも短いのではないか、とも思います。
イオ3月号でも、震災から1年に際した特別企画として、被災地同胞たちの現在のようすを伝えました。この企画は主に私が担当したのですが、取材期間中、少なくない同胞の方々とお会いして話を聞くことができました。一方で、同胞被災者に取材を丁重に断られたケースもありました。
「そっとしておいてほしい」「もう勘弁してくれ」
私が同じ立場に置かれてもそう思うかもしれません。
当たり前のことですが、被害を受けた人、被災地に住む人といっても本当にさまざまな境遇の人々がいて、「被災者」というくくりで一般化するには、現実はあまりにも複雑です。
「3・11」を機に世界は変わったのでしょうか。ある部分では変わったとも言えますし、ある部分では変わっていないとも言えます。でも、3月11日の前から原発の問題に関しては、その危険性は指摘されてきたし、津波の危険性とそれに対する備えの脆弱性も警告されてきました。あの震災をきっかけにこれらの問題が誰もが無視できない形で顕在化した、と言うことはできるでしょうか。
11日は日曜日。被災地で、それ以外の場所で、追悼の1日を過ごす人、原発反対のデモをする人、普段どおりの休日を過ごす人、仕事をする人、学校では卒業式があったり、結婚式を挙げるカップルもいるかもしれません。
追悼はそれぞれが思う形ですればいいし、ただ、「追悼しろー」「静かに過ごせー」「デモするなー」といった「同調圧力」が世間を覆うことだけは勘弁願いたい。
私もその日は休みですが、自分なりの形で犠牲者を追悼し、震災を振り返ってみようと思います。(相)
Unknown
「時の流れは水の如し」
まさに今そんな心境です。被災地の方々のご苦労を思うとき、特に、今日も放射能の心配をしながら眠れない夜を過ごす方々を思うとき、胸が痛みます。
大きなことは出来ないけど、誰にでもできる事があります。それは被災地の方々のことを決して忘れないことです。
どんな小さなことでも出来ることを探し、みんなで力を合わせ行動せねばと思います。
全国のあちこちで小さな花が途絶えることなく咲いています。決して見返りを求めない素朴な花が
Unknown
オンニョ様、コメントありがとうございます。「被災地の方々のことを決して忘れないこと」「どんな小さなことでも出来ることを探し、みんなで力を合わせ行動する」。私も心に刻みたいと思います。