17年ぶりのウリハッキョ⑫1年生が終わりました。
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体に不釣合いなランドセルを背負って校門をくぐったの後姿が今も目に浮かび、緊張に包まれた1年前の4月を思い出します。
この1年間、「サル」から「人間」に育ててもらったとハッキョの先生、職員の皆さんには感謝しています(笑)。
終業式の日、息子は担任の先生と別れる時に涙が出たと話していました。ハッキョに通って初めて出会ったソンセンニム。空手教室の帰り道には必ず顔を見て帰ってくるほど、息子は先生たちになついていました。ほめられ、叱られ、見守られた1年。このように信頼できる大人が増えていき、同じルーツを持つ友だちと気持ちを分かち合えるようになってきたことを、親として嬉しく思います。これから進級する過程で、予想しなかったことや、回り道をすることもあるでしょうが、このような出会いがひとつ、ふたつ増え、豊かな人生をもたらしてくれることを期待しています。
この季節になると、わが子を日本学校、民族学校、あるいは国際学校に通わせるかという学校問題が友人との話題に上ってきます。夫婦の合意が得られない、学費を工面できない、民族学校が遠い…など抱える悩みや葛藤は人それぞれですが、無償化制度からの朝鮮高校排除など、日本社会で民族教育に理不尽な矛先が向けられるなか、民族教育を授けることを「ハンディ」と考え、日本学校を選択する親が増えているように感じます。
私が、子どもの民族的アイデンティティについて強く意識し始めたのは息子が日本の保育園に通っていた5歳の時でした。その保育園に外国人は少なく、外国人はクラスで彼一人。朝鮮名で通わせているので、「なんかちがう」という疑問を彼なりに持ち始めたようでした。そして、6歳の春。大半の子どもが地元の公立小学校に通うのに、自分だけが朝鮮学校に行くことを知った彼は、「なんで」と私に聞きました。
日本社会がどう変わろうと、在日朝鮮人には自分のルーツにきちんと向き合える場=教育が必要だと思います。日本の教育現場で在日朝鮮人の存在がきちんと伝えられ、受け止められる日が来ることを祈っていますが、現状は非常に難しい。日本学校に子を通わすことにしたある友人は「これからは、家庭教育をどうしていくかが課題だ」と話していましたが、同胞の教育問題は通わせる学校を超えて共通したものがあります。彼らの悩みは私のものでもあります。
同胞社会では、日本人と朝鮮人との結婚が年々増えており、ダブルのルーツを持つ彼らの教育問題も横たわっています。10年前、ある知人が「たとえ朝鮮学校に通わせないとしても、民族学校という選択肢を持っていることが幸せだと思う」と話してくれたことがありました。現在、知人は二人の子どもを日本の学校に通わせています。ウリハッキョがコリアン社会により開かれた場になり、互いの民族教育についてざっくばらんに話しあえる場になっていければ、と感じています。(瑛)
Unknown
瑛さま、子供の成長は早いですね。保育園からウリ幼稚班に通い4月に1年生になる私の孫も同じような体験をしました。その時、保育園の皆さんに理解していただくため書いた詩を送ります。
「春になれば」
木枯らしがふぶいていた日
リファがぽつんと言いました
自分に言い聞かせるように
《リファ、春になったら
ユナオンニの幼稚園に行くねん。》
卒園まで後1年
みんなと一緒がよかったけれど…
自分が誰なのかを知る為に
自分の国の言葉と歴史を知る為に
リファは行かねばなりません
まだ子供なのに
そう まだ子供だから
知らなければならないのです
心に柱がなければ崩れます
異国でも立派に生きなければ
民族を愛する心を持たなければ
オンマが 3人の幼子を預け
働き続けねばならなかった訳を
リファは知らなければなりません
揺りかごの様な つみき保育園で
慈しまれ 手を取って教えていただき
やさしさを 育てて頂きました
アッパ、オンマよりも沢山
抱っこして下さいました
頭を撫でて下さいました
2000日近い日々
雨の日も風の日も過ごした保育園を
みんなに祝福されながら巣立ちます
花咲く春が近づいています
2011年3月吉日
* アッパ【父の幼児語】
* オンマ【母の幼児語】
* ユナオンニ【朝鮮学校に通っている従姉】