ウリマルに恋をする
広告
絶好のお花見日和のこの週末、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
イオ編集部は例の如くデッドラインに追われています。毎度このシーズンになると「明けない夜はない、明けない〆切はない!!」と自分を叱咤激励しています…。どんなに(今月無事に終われるんだろうか…)と思い悩んでも、必ず〆切はやってくる。そして「終わった!」と解放感にひたるのも束の間、数週間後にはまた同じ状況にはまっている…。
今は、〆切が明けたら満開の桜の下で冷えた缶ビール(アサヒスーパード○イ)を飲むんだ!という決心?煩悩?を隠し持って頑張っています(笑)。
そんなことはさておき、(相)さんも書いていましたが、イオ5月号は朝鮮語特集。朝鮮語の実践的な学習法とともに、朝鮮語を学ぶ人たちも紹介します。
私は先週関西へ出張に行って、大阪と京都の朝鮮語教室を取材してきました。そこで、たくさんの「ウリマルに恋する」人たちと出会いました。
私自身は幼稚園から大学まで朝鮮学校で学び、家庭でも常用単語やあいさつはまず朝鮮語から教わりました。안녕하십니까、주무십시오、고맙습니다、미안합니다、다녀오겠습니다…。すべて日常に自然に入り込んでいた言葉たちです。
こんなこともありました。小学生の頃、レストランで兄が布巾をもらいに立ったのですが、帰ってきた兄の手に布巾はなく、「“행주”なかった…」としょぼんと言ったのです。
在日同胞の中には、これと似たような体験をした方も少なくないのではないかと思います。しかし相反し、さまざまな理由でウリマルを学べなかった人たちははるかに多くいます。
ウリマルを学ぶことで新しい自分と出会い、アイデンティティを確立していった人。ア・ヤ・オ・ヨ、朝鮮学校で学ぶわが子を通してウリマルを学ぶ人。ウリマルを学べなかった自身の経験から、民族学級の講師になった人、など…。ウリマルを渇望し、勇敢に「言葉を獲得する」人びとを見ながら思いました。日本の植民地支配のもと、一度は失った私たちの言葉を、依然として在日朝鮮人を取り巻く状況が困難な中で、私たちは二度奪われている、と。
私は今でも、朝鮮語の新しい表現や美しい修辞法に触れると、小さな感動を覚えます。在日同胞が日本に生まれ生きていく以上、朝鮮語が母語となるのは難しく、私たちはそれがどんな方法であれ“ウリマルを学ばなければ”なりません。それは致し方ないこと。ですが私たち在日朝鮮人が抱く「ウリマルへの恋心」は、それぞれの環境や立場に関係なく、世代を超え多くの同胞が共有する想いではないでしょうか。そしてその想いは、とても尊いものだと思います。(淑)